先日とある方と話をしました。その方は学校が嫌いで教師が嫌いと言っていました。
その理由は、学校や教師は、いろんなことを生徒に押し付けて、その通りにやらなきゃいけないからだそうです。
教師の言う事を守り、学校のルールを守ることが良い子であり、教師の言う事に疑問を持ち自分で考え行動する子は悪い子にされる、ようなことを話していました。
なるほど。確かに学校は、いろんなものを押し付けるし、教師の言った通りにしなければいけないことがたくさんあります。教育は強制だとその人は言っていました。ある意味ではその通りです。
僕は学校が好きでした。小学校の担任してくれた先生は全員大好きでした。そして今、小学校の教師になって、25年以上教壇に立っています。。
この考え方の差は何なのでしょうか?
僕は小学校の頃、いじめられてもいたし、泣き虫だし、勉強した事はほとんど覚えていません。
そして好き嫌いが激しく、給食を残しては、放課後まで食べ終わるまで残されたこともあります。
顔を水につけられずに、1人だけプールの真ん中に連れて行かれ、無理矢理頭を水の中に押し込まれて溺れそうになったこともあります。
それでも僕はその先生方が好きだったし、今でも尊敬しています。
なぜか。授業内容はほぼ覚えていなくても、たくさんの忘れられない贈り物をもらっているからです。
いじめられて泣いたとき、寄り添って話を聞いてくれた先生。
僕の性格や根性を信じて、あえてプールに沈め、後から悔しくて、それを克服し、自分の事のように喜んでくれた先生。
影絵作りや様々な活動を通して、仲間と一体感、連帯感、達成感を与えてくれた先生。
優しくて、夏休みにはクラスみんなを家に招いてくれて、たくさんの思い出を作ってくれた先生。
僕はこの先生方のようになりたいと思い、それが教師になる理由、原点のひとつだと思います。
先日の、産経新聞の、快刀乱麻と言うコラムに、日本最大の教育団体代表の、向山洋一先生が、給食指導について書かれていました。
その中で給食を最後まで食べるまで掃除をさせない学校、食べ終わるまで無理やり叱って矯正する先生、などが報告されています。
30年以上前の、僕の子供の頃の給食指導と、変わりがありません。
先日このブログでも書いた算数の問題解決学習も同じです。
子供に力をつけない授業が、いまだに日本中の学校で、当たり前のように行われています。
また先日、テレビで、林修氏が、日本の学校教育は、50年変わっていない、と述べていました。その話は、教師としてとても歯がゆく悔しい思いをしながら見ていましたが、残念ながらそれはある種の真実をついていると思います。
まだまだ、学校教育の問題点はたくさんあるんです。
そう考えると、最初に述べたある人の、学校が嫌い、先生が嫌いと話も合点がいきます。
その人は、全国模試かな?1位を取ったこともある頭のいい人です。
もしかしたら、その人にとって、学校で教えることは物足りなかったのかもしれません。
もしかしたら、その人は僕のように尊敬できる教師に出会わなかったのかもしれません。
勉強が苦手な子は、教師の教え方が下手で、叱られてばかりいれば、学校が嫌いになるでしょう。
いじめられている子は、先生方が助けてくれなかったら、学校が嫌いになるでしょう。
では、どうするか。
子ども全員が、出来た、わかった、楽しかったと思える授業をすればいいんです。
子ども全員が、楽しく、自己肯定感を持ち、一体感、連帯感、達成感を感じられる学校なら、いじめはおこらなくなるんです。
理想論だと思いますか?
実は、日本中の先生方が、実践し、試行錯誤し、うまくいった教育技術ははたくさんあるんです。
例えば、跳び箱はだれでも飛ばせられます。
30年以上前に、跳び箱指導は、前出の向山洋一先生によって確立しているのです。
例えば、算数指導も、以前ブログに書いた、教科書を使った教え方で、出来ない子もできるようになるんです。
出来なかった子ができるようになることで、自己肯定感が高まり、問題行動も減っていくんです。
こういった素晴らしい教育技術は、残念ながら、全国全ての先生方に広まってません。
代わりに、小学校で教えたこともない大学の教授が唱えた、現場を無視した教育方法や、教育現場を知らない、企業の社長や、政治家のごり押しの理論だけの内容が、現場に押し付けられていき、それをやらなけれやらなければいけなくなるのです。
僕が、小学校の先生になろうと決めたのは、僕の担任だった小学校の先生方が皆僕に味方をしてくれ、僕の話を聞き、僕を受け入れてくれたからだと思います。
授業を覚えていないと言う事は、その先生方にも、教え方でうまくいかなかったことがあるのだと思います。
でも僕は、その先生方のように、子供の可能性を信じ、子供を伸ばし、よりよく成長していくための、手助けをしていきたいと思います。
僕は大学の時に、同じく教師を志す仲間たちと、今までの教育を変えると誓い合ったことがあります。
残念ながら、実際の教育現場はそう甘いものではありませんでした。
1日24時間では足りないほどのやることの山。
教材研究できない時間のなさ。
上司や主任からのご指導。
子どもや保護者からのクレーム。
エトセトラ、エトセトラ。
それでも僕は、退勤後の教育サークルや休日の教育セミナーなどで、子供たちに力をつける授業、子供たちに一体感連帯感達成感を感じてもらえるような、学級経営を学んできたつもりです。
僕のサークル活動や、このブログ等を通じて、少しでもそのうまくいった教育技術を伝えて、少しでも教育を変えて行けたらと思っています。
そして、最初に書いた、学校が嫌い、教師が嫌いと言う人に、「あなた方のおかげで、学校教育が少し良くなった、先生方を少し見直した」と言わせたいと思います。
その理由は、学校や教師は、いろんなことを生徒に押し付けて、その通りにやらなきゃいけないからだそうです。
教師の言う事を守り、学校のルールを守ることが良い子であり、教師の言う事に疑問を持ち自分で考え行動する子は悪い子にされる、ようなことを話していました。
なるほど。確かに学校は、いろんなものを押し付けるし、教師の言った通りにしなければいけないことがたくさんあります。教育は強制だとその人は言っていました。ある意味ではその通りです。
僕は学校が好きでした。小学校の担任してくれた先生は全員大好きでした。そして今、小学校の教師になって、25年以上教壇に立っています。。
この考え方の差は何なのでしょうか?
僕は小学校の頃、いじめられてもいたし、泣き虫だし、勉強した事はほとんど覚えていません。
そして好き嫌いが激しく、給食を残しては、放課後まで食べ終わるまで残されたこともあります。
顔を水につけられずに、1人だけプールの真ん中に連れて行かれ、無理矢理頭を水の中に押し込まれて溺れそうになったこともあります。
それでも僕はその先生方が好きだったし、今でも尊敬しています。
なぜか。授業内容はほぼ覚えていなくても、たくさんの忘れられない贈り物をもらっているからです。
いじめられて泣いたとき、寄り添って話を聞いてくれた先生。
僕の性格や根性を信じて、あえてプールに沈め、後から悔しくて、それを克服し、自分の事のように喜んでくれた先生。
影絵作りや様々な活動を通して、仲間と一体感、連帯感、達成感を与えてくれた先生。
優しくて、夏休みにはクラスみんなを家に招いてくれて、たくさんの思い出を作ってくれた先生。
僕はこの先生方のようになりたいと思い、それが教師になる理由、原点のひとつだと思います。
先日の、産経新聞の、快刀乱麻と言うコラムに、日本最大の教育団体代表の、向山洋一先生が、給食指導について書かれていました。
その中で給食を最後まで食べるまで掃除をさせない学校、食べ終わるまで無理やり叱って矯正する先生、などが報告されています。
30年以上前の、僕の子供の頃の給食指導と、変わりがありません。
先日このブログでも書いた算数の問題解決学習も同じです。
子供に力をつけない授業が、いまだに日本中の学校で、当たり前のように行われています。
また先日、テレビで、林修氏が、日本の学校教育は、50年変わっていない、と述べていました。その話は、教師としてとても歯がゆく悔しい思いをしながら見ていましたが、残念ながらそれはある種の真実をついていると思います。
まだまだ、学校教育の問題点はたくさんあるんです。
そう考えると、最初に述べたある人の、学校が嫌い、先生が嫌いと話も合点がいきます。
その人は、全国模試かな?1位を取ったこともある頭のいい人です。
もしかしたら、その人にとって、学校で教えることは物足りなかったのかもしれません。
もしかしたら、その人は僕のように尊敬できる教師に出会わなかったのかもしれません。
勉強が苦手な子は、教師の教え方が下手で、叱られてばかりいれば、学校が嫌いになるでしょう。
いじめられている子は、先生方が助けてくれなかったら、学校が嫌いになるでしょう。
では、どうするか。
子ども全員が、出来た、わかった、楽しかったと思える授業をすればいいんです。
子ども全員が、楽しく、自己肯定感を持ち、一体感、連帯感、達成感を感じられる学校なら、いじめはおこらなくなるんです。
理想論だと思いますか?
実は、日本中の先生方が、実践し、試行錯誤し、うまくいった教育技術ははたくさんあるんです。
例えば、跳び箱はだれでも飛ばせられます。
30年以上前に、跳び箱指導は、前出の向山洋一先生によって確立しているのです。
例えば、算数指導も、以前ブログに書いた、教科書を使った教え方で、出来ない子もできるようになるんです。
出来なかった子ができるようになることで、自己肯定感が高まり、問題行動も減っていくんです。
こういった素晴らしい教育技術は、残念ながら、全国全ての先生方に広まってません。
代わりに、小学校で教えたこともない大学の教授が唱えた、現場を無視した教育方法や、教育現場を知らない、企業の社長や、政治家のごり押しの理論だけの内容が、現場に押し付けられていき、それをやらなけれやらなければいけなくなるのです。
僕が、小学校の先生になろうと決めたのは、僕の担任だった小学校の先生方が皆僕に味方をしてくれ、僕の話を聞き、僕を受け入れてくれたからだと思います。
授業を覚えていないと言う事は、その先生方にも、教え方でうまくいかなかったことがあるのだと思います。
でも僕は、その先生方のように、子供の可能性を信じ、子供を伸ばし、よりよく成長していくための、手助けをしていきたいと思います。
僕は大学の時に、同じく教師を志す仲間たちと、今までの教育を変えると誓い合ったことがあります。
残念ながら、実際の教育現場はそう甘いものではありませんでした。
1日24時間では足りないほどのやることの山。
教材研究できない時間のなさ。
上司や主任からのご指導。
子どもや保護者からのクレーム。
エトセトラ、エトセトラ。
それでも僕は、退勤後の教育サークルや休日の教育セミナーなどで、子供たちに力をつける授業、子供たちに一体感連帯感達成感を感じてもらえるような、学級経営を学んできたつもりです。
僕のサークル活動や、このブログ等を通じて、少しでもそのうまくいった教育技術を伝えて、少しでも教育を変えて行けたらと思っています。
そして、最初に書いた、学校が嫌い、教師が嫌いと言う人に、「あなた方のおかげで、学校教育が少し良くなった、先生方を少し見直した」と言わせたいと思います。