

隣地区の史談会の研修視察です。津軽藩発祥の地を訪ねています。場所は「鰺ヶ沢」です。津軽藩と聞くと「津軽(大浦)為信公」を思い浮かべなすが、「為信公」は津軽藩の五代藩主で津軽藩の始祖は「大浦光信公」です。

こちらがその方(の銅像)です。

そして、こちらが初代「大浦光信公」のお墓です。何故か墓石がありません。藩主様のお墓だと普通は立派な墓石があるのですが・・。ガイドの方に聞いても分からないというお返事でした。
でも、私は何故墓石が置いてないのか分かるような気がしました。
この殿様は死期が近づくと、家臣の神官に私より先にあの世に行って私を供養せよ(道案内せよの意か)と命じたり、自分が采配を振っている姿の通りに埋葬(銅像のような姿で)せよと遺言を残したりしており、実際にそのようにしたそうです。
だとすれば、立った姿で埋葬されている方の上に大きな墓石を載せるでしょうか。私が残された家臣であれば墓石を載せない方を選びます。いかがなものでしょうか。
どなたか正解なりご意見なりをお寄せ下さい。お待ちして居ります。


こちらが殉死したご家老の「奈良主水」さんのお墓です。やはり墓石がありません。
過酷な殿様もいたものです。神官の「奈良主水」さんには心よりご同情申し上げたく思いました。
この日は他にも「高照神社」など津軽藩にゆかりの地を訪ねました。
2度目の訪問でしたが、実りが大きいものでした
