七時雨山(ななしぐれやま)の車之走峠(くるまのはしりとうげ)とは江戸時代に盛岡から当市に向かう街道中、最大の難所だった峠です。
今日は無形文化財調査のリーダー(例の神主さん)のお誘いで、史談会の会長さんに案内して頂いてこの街道の様子を3人で探索に行きました。
地図の右上にあるのが七時雨山(ななしぐれやま)1,060mです。左下にある裾野の広い山が御月山(おつきやま)954mです。江戸時代の主要街道は赤い線で結ばれる七時雨山と御月山(おつきやま)を通っています。現在の国道(282号線)や東北自動車道は御月山の左を通っています。昔の道路は随分高い所を通っていました。低い所の道路だと大雨などで道路が壊れてしまうからだと思います。
この江戸時代の街道は、現在車で通れない部分がありました。地図上の「⑧マンダ並木道~⑨車之走峠~⑩お七地蔵~⑪マダ並木道」の間、約3~4kmが車は全く通れません。徒歩でも案内人がいないと難しいようです。私たちもこの間は歩かず、北側から車之走峠をめざし⑪で引き返し、田代平高原経由で反対側へ廻って車之走峠をめざしたのですが⑧までしか車では行けませんでした。
七時雨山の南側(旧西根町)のガイドマップ
こちら(南側)は私とSさんは初めての場所だったので要所は全て見て歩きました。お寺さんによって和尚様のお話を聞いたり、一里塚を確かめたり(4カ所)、神社や追分石等々たくさんのものを見て歩きました。
南側から見た七時雨山(南峰)、北側からみると「ふたこぶらくだ」のように2つの山が連なって見えます。。
マダの並木道で見た「マダの木」です。別名は「級の木」です。葉は茹でると食することができ、木の皮の繊維は蓑(みの:雨具)を作る為に使われ、わざと植えたと思われます。
七時雨の一里塚です。向かいにももう1基ちゃんとありました。当市の一里塚は全て道路が拡張されて片方が無くなっています。こちらはもう車は通れない古道のままです。八幡平市(岩手県)教育委員会が標柱や説明板を立て、道路の下刈りもしっかりしています。
今日はたくさんのことを学びましたが、とりわけ文化財の保存の仕方は八幡平市に学ばなければならないと思いました
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