走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

創造と想像

2009年11月20日 21時26分03秒 | 職場の出来事
 今日、職場でちょっとした出来事があった。

 ある仕事で、キャッチフレーズの中の文字が自分が思っていた字とちがっていたのである。
その印刷物は、既に完成物のイメージとして出来上がるもののサンプルであった。
校正は既に終わっている。

 校正の時にろくに見もしないでオッケーを出した私が悪いのである。
 内心、「いた❢❢」と思った。
 部下のせいではない。
 しっかりと確認しなかった自分の責任である。
 あれほど部下には、「常に仕事は真剣に向かいあえ」などと偉そうに言ってるくせにである。
とても後悔した。

 ここで無理強いすると、この後の関係者にどれほど迷惑をかけるかも想像できた。
「申し訳ない」と思った。
「ここで見過ごせば、いいのだ」と自分に言い聞かせてみた。

 普段、部下の原稿を見ていても誤字を見つけてもチェックして付箋を貼るくらいで、呼びつけてまで注意することはない。

 葛藤した。
 でも、今回は単なる誤字ではない。
 この事業にかけた我々の思いや今後の行動の中でよりどころがなくなると思った。

 当初は、論語の故事から「温故知新」を引用していた。
 「古きを尋ねて新しいことを知るだけでは、積極性が足りないやろ。つくりあげるという方がより行動的で前向きな感じがするから、堀江公民館の前公民館長の久保田さんが言っていた『温故創新』にしよう」
できあがったものは『温故想新』であった。
 自分の思いが伝わっていなかった。

 一番悔しかったのは、このことが伝わっていなかったことである。
 自分の独りよがりに気づかされた。

 人に思いを伝えるのは難しい。
 上司として失格である。

 もっと失格なのは、その後の私の行動である。
 担当を呼んで「『想像』と『創造』の意味を言ってみてください」
 担当は口ごもる。(なんと陰険な...)
 たたみかけるように「『想像』はイメージを膨らますだけやから行動を起こすということに結びつかんが、こっちの『創造』は創りあげるという意味があるから行動するという前向きさがあるやろ」と
 本当に大人気ない。
 怒ってから後悔した。
 またやってしまったと...

しかし、
 たった一字であるが、
 されど一字である。

 日々の気の緩みが大きな事故につながる。
 どれだけ思い入れをもって仕事をしていても、部下に自分の思いを伝えられない上司など失格であると改めて学ばされた。