走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

無縁社会が忍び寄る

2010年08月03日 21時44分49秒 | つぶやき
 最近、二つの事件がセンセーショナルに取り上げられている。

 一つは、若いシングルマザーの幼児二人の置き去り死亡事件(もはや殺人事件)、もう一つは113歳の女性の所在不明事件である。

この事件に共通するのは、近隣社会と関係を断っている人たちが巻き起こした事件である。
この事件を通して「無縁社会」は確実に忍び寄っていると、思った。

当然事件を引き起こした当事者に問題がある。
しかし、それだけで済まされる問題ではないような気がする。
地域社会の中で、臭いものやめんどくさいものには蓋をしてしまう風潮が、引き起こした悲しい事件なのではないかと思う。
いつも弱い立ち場の者が犠牲になる。

地域コミュニティに携わった者として、ずっと地域コミュニティが崩壊した時の怖さを危惧していた。
そして、今、地域社会の最前線にいて感じることは、確実に地域社会の中の救済システムが機能不全を起し始めていることを感じる。
どんなに組織をつくっても担当する顔ぶれは同じである。
つまり、偏った人たちに負担がかかっている。

しかし、その人たちにそれに見合った報酬が出ているわけではない。
だからというわけではないが、手を挙げてくれる後継者が少なくなり、固定化し、高齢化する。
このことを危機だと捉えている行政職員が何割いるのだろうか。
世代が若返る中で、ものの考え方が変ってきていることに行政は気づいていないということをたくさん感じる。
「地域住民」という言葉でひとくくりにし、その変化に目をそむけているような気がする。

委任状などで任命したら、(お世話いただく方には)行政の(言う)とおり動いてもらわないという穿った考え方が蔓延しているような気がする。
地域の人たちは、それでも汗をかいてくれる。
お世話をしてくれる人たちは行政と地域の人たちの板ばさみになりながら、でも行政よりに行動をしてくれる。
本当にありがたい。
でも、その人たちのことをほとんど考えずに、行政の論理で物事を進めてしまう。
無縁社会の到来は、決して地域住民の責任だけではなく、戦略を持たない行政の問題でもある。

今、無縁社会問題に真剣に取り組まなけいと、とんでもない地域社会になると心配しており、この問題解決に向けて仲間たちと具体的な行動を起こし始めている。