「水急にして月を流さず」と読みます。
直訳すると、「どんなに水の流れが急であっても、水面に映る月影を流すことはできない」という意味で、「世間の波風に流されない不動の心」を説いています。
人は、周りの噂や避難に動揺することが多くみられます。
私自身もかつてそうでありましたし、今もそうかもしれません。
それは、私自身が自分の生き方に自信がない裏返しなのかもしれません。
そして、自分の生き方に大儀をもっているかどうかだと思うのです。
今日も地域の中で災害時に地域の人たちの役立つ企業探しをしていたところ、地元の企業人からご紹介いただくことになり、わざわざご案内いただきその企業を訪問させていただきました。
とても若い経営者で、でも真摯な態度は共感できるものがありました。
地域の取り組みを説明させていただき、具体的な提案をさせていただいたところ快く引き受けていただきました。
地域活動の中で地域住民と各種団体をつなげる方法については見えてきましたし、牛歩ですが前へ進むようになりました。
その一方で、地域にある企業との連携はこれからです。
わかりやすい行動としては、防災等のキーワードに関連する企業探しから始めています。
ありがたいのは、忙しいのにもかかわらず快く対応してくれることです。
実は、紹介者は地域の勉強会にお声がけをして、参加いただいている人だったのです。
その出会いも飛び込みで、予算ゼロ円からスタートした勉強会でしたので、実はお茶も出せない状況でした。
そこで、「参加者にお茶を出したいのですが寄附をお願いできませんか」と依頼したところ、快く受けていただいたのです。
あつかましいのは寄附だけでなく会議への出席もお願いしてしまいました。
こちらの方も快く承諾いただきました。
(内心、報告の手間を省きたかっただけなのですが...)
参加いただいて二回目が防災がテーマでした。
すると、ペットボトルが普通のペットボトル水から災害対応の長期保存可能なペットボトル水に変わっていました。
そして、今日の紹介へとつながったのです。
その紹介者の方は、勉強会を大変まじめで、有意義な会だと評価いただきました。
その結果だと思います。
でも、そのまじめさは私ではなく、地域の人たちが自分たち自身のこととして受け止め、何が問題で、どのように取り組むべきかをまじめに話し合っていただいたからこそ伝わったのではないでしょうか。
器を作って人を入れるのではなく、人に合わせて器を作る。
そして、何をするかを誰が聴いてもわかる目標として決めるというのも大事です。
さらに、その目標に向かって突き進む「志」というベクトルを同じ方向に向けることです。
すると、何をしなければならないか、具体的な仕事が見えてきます。
そこまでいくとどのような器が必要であり、役割分担をどのようにするか、そして誰にどのような権限をもたせるかがわかってきます。
器をつくることが目標になると、このことが見えなくなります。
私たちは、まず大災害が来たときに一人でも多くの地域の人たちの命を守る。
そのための活動が動き始めています。
そして、その先に新たなコミュニティ活動のカタチがあるような気がしてきています。
何よりも具現化するためには、その志がぶれないこと。
そして、そこに必ず大儀があることだと強く思います。