町内会の忘年会に出席した。
町内会では今年いろいろなことがあり、そのお手伝いをさせていただいた。
その中で、私がどうやら来年度の町内会長に内定したらしい。
断ることもできたが、あまりの熱望で断りきれなかった。
自分の親の年代の人たちが、入れ替わり立ち代り依頼に来られた。
「三顧の礼」どころじゃないくらい。
無碍(むげ)に断れない状況になった。
何度も私でいいのか念を押した。
お受けした途端、さまざまな町内活動に声がかかってきた。
できる限りスケジュール調整をしながら参加させていただいた。
さまざまな人たちに助けてもらえそうなので、お引き受けした。
宴が進むうち、詩吟をたしなまれる人たちが披露し始めた。
町内会長さんが、うれしかったのであろう。
最後にトリをつとめられた。
その中に、子どもの頃、母が教えてくれた短歌があった。
「呼びたくも 呼ぶことならず ガラス戸に 息吹きかけて 母と書くらむ」
それを聴いたとき、不覚にも一筋の涙が頬を伝った。
終わると、直後に退席した。
ずいぶんと涙もろくなった。
そんな自分を見られるのは恥ずかしい。
最近、物事の動きが運命(さだめ)のようなもので決められているような気がしている。
歳をとったせいか...
今日は、23歳で逝った親友の命日でもある。
自分だけで生きていけないことを常に呼び起こされるような気がしている。
年末に母のモノを片付けていたときに闘病日記見たいなモノが出てきました。
その中に一もこの詩がつづられていたのですが、3種あるとは知りませんでした。
ありがとうございました。
ふるさとの 栗もくるみも うれたれば
おまえを思うと 母のふみくる
呼びたくも 呼ぶことならぬ ガラス戸に
息吹きかけて 母と書くなり
かくまでも なげきたまいぬ 吾ゆえに
日毎ふえゆく 母のしらがみ
松口月城がこの詩をみて作った漢詩が「母」です。