最近、仕事をやめた人と話をしていて、昔話に花が咲いた。
懐かしかったのか、(相手方の一方的な)マシンガントークであった。
私はひたすら聞き役で、頷くのみであった。
そして、最後の方に、行政と民間を比較する話があり、行政が懐かしいと話を結ばれた。
確かに、この人にとっては(今の民間の仕事より)行政の方がやりやすかったのであろう。
今のところでずいぶんとご苦労をされているのであろう。
ただ、自分としては行政の仕事が楽だと思ったことがない。
ずいぶんと、悔しい思いや辛い思いをした。
だが、なんとなく続いた。
投げ出そうとは一度も思わなかった。
生来の愚鈍のせいもある。
そういう意味では、リタイヤした時に民間企業に勤めると苦労するかもしれない。
何にもまして、「役所」という看板がなくなる。
つまり、裸同然になるのである。
肩書で仕事をしているつもりはないが、看板で仕事をさせてもらったことはたびたびある。
この看板が、どうしてこうして大きく、重いのである。
看板で仕事をするなと教えられたことがあるが、わかっていて看板を利用した。
確信犯である。
看板の偉大さに気づかず仕事をする人は多い。
そういう意味では、看板の偉大さを理解し、それをうまく使って仕事をしたおかげで、ずいぶんとダイナミックな仕事を経験できた。
振り返ると、本当に楽しかった。
まったく悔いが残っていないかというと嘘になるが、でも、まあ、楽しかった。
笑いすぎた後の、疲れのような感じもするが、概ねおもろかった。
世のため、人のためといいながら、実は自分が一番楽しんだような気がする。
その看板が使えなくなるのも、そう遠い話ではない。