今年は、母の新盆。
さすがに新盆なので盆休みをもらいました。
なにかと気忙しい。
そんな中、中学校からの友人であるT君から「お線香」が届いた。
重厚な器に入った上品な香りのするお線香だった。
さっそく使わせてもらうことにした。
T君からはその前に手紙をもらっていた。
以前にも書いたことがあるのだが、父が死んだとき、近くにいたにもかかわらず手紙をもらった。
直接、口にすればいいのだが、口にできないために手紙に綴ってくれた。
当時を振り返れば、私もかなり意気消沈していたためだろう。
その手紙で随分と救われた。
そして、彼が当時好きだった映画のタイトル「いつも心に太陽を」という言葉をプレゼントしてくれた。
私は、この言葉をよりどころにがんばれたと思う。
そして、今回の手紙の中で彼は私たち親子を次のように評する。
貴兄とは友達のような母子であり、また強い絆で結ばれていて、うらやましかった思い出があります。
互いに支えあってきた母子お二人の人生は、「たった二人」でやはり大変だったのでしょうね。
傍目にはそれを感じさせず、常に明るいお二人でした。
お母様も気丈でしたが、貴兄も気丈でした。
その気丈な貴兄であっても、お母様の御逝去はやはりショックなのですね。
小生の場合は、東京に就職して母とは永年離れて暮らしていて、また他界する前の数年間は入退院を繰り返していたので、ある程度覚悟は出来ていました。
父から、訃報を聞き、急いで帰郷し、実家に帰り、通夜、葬儀に参列したのですが、意外に涙が出ませんでした。
しかし、葬儀が全部終わり、東京の自宅に戻って、二階の部屋で一人になった瞬間、なぜだか急に涙があふれてきて、声を出して泣いてしまいました。
不思議なものですね。
それほど母親べったりの子どもではなかったのですが・・・。
貴兄の場合は、母であり、友であり、支えあってきた「仲間」でもあるお母様であっただけに、失った悲しみは大きいと思います。
悲しんでいいと思います。
気の済むまで悲しんであげればよいと思います。
貴兄も大人ですので、「時」が必ず解決してくれると思います。
この手紙で随分と救われました。
女々しい自分がどこかにいて、吹っ切れない自分がいました。
でも、悲しい時には素直に悲しめばいいということを改めて感じました。
すると、今までのひかかっていたものが抜けて、「スー」と軽くなったような気がします。
お盆に帰ってきた母を心安らかに迎え、送り出すことができそうです。