振袖の色粉々に燃え上がり天守も燃えて回向院建つ
この歌に隠されている数字は、
色粉々→いろこなごな→16(こな)57→(西暦)1657年(明暦の大火(振袖火事)の起きた年)でした。
明暦の大火についての詳細は、別途ネット等で調べて下さい。
この火事で江戸の市街地の大半が焼け野原となり、江戸城の天守閣も焼け落ちるという大火災だった。徳川家綱の英断(保科正之らの支えがあったのだろうが)により、江戸市街地の復興に全力で取り組んだ。現代風に言えば、人に優しい政治をしたということだ。
市街地復興に金が掛かる為に、天守閣再建の延期(ついに、再建されることはなかった。)までしたのだから。
家綱さん、貴方は偉かった。私は、油井正雪も家綱さんを認めていると思う。
さて、話は変わります。
私は、歴史を学ぶとは、過去に起きた事実を覚える(暗記する)ことだと思っていた。
生きている人間の活動の結果として歴史が生まれるということを教えてくれたのが、司馬遼太郎だった。例えば、坂本龍馬を抜きんでた偉人にしたのも司馬さんだった。
司馬遼太郎の小説の主人公たちは、情熱的で真っ直ぐな心を持っている。その主人公たちの生きざまに共感し、司馬遼太郎の小説のファンになってしまう。
司馬さんの小説は、史実と異なることがあると指摘されていて、それをまろやかに司馬史観と呼ばれている。(私には、どこが史実と食い違うのかは分からないのだが。)
歴史とは暗記するものではなくて、先人たちの生きざまを学んでいくものなのだということを教えられた。
次に、井沢元彦さんから多くのことを教えらた。
司馬遼太郎の小説を読むと司馬さんの別の小説を読みたくなるのだが、『逆説の日本史』を読むと日本史を勉強したくなる。
『逆説の日本史』は、歴史的な事実の原因(推測が多い)また、その人がどうしてそういうことをしようとしたのかを心理学的(宗教心理等)に解き明かそうとしている。井沢元彦の自信に溢れた(強引な)解析に、思わず「本当かよ。」と言いたくなってしまう。
そして、私は、(まあ五十才を過ぎてからだが)歴史の本を読むようになった。
「歴史を学ぶということは、歴史上の人物と友達になる、或いは先生とすることである。」と万年初学者の私は思っている。
子し曰いわく、学びて時に之これを習う。亦(また)説(よろこば)しからずや。
朋(とも)有り、遠方より来きたる。亦また楽しからずや。
人知らずして慍(いきど)おらず、亦君子しならずや。
(web漢文大系 https://kanbun.info/index.html からほぼコピー)
論語 学而一 だ。
ここで、「朋(とも)有り、遠方より来きたる。」の「朋」とは、誰のことだろうか?
私は、この友達は本の中にいる、また、本を書いた人であると思っている。
そのとても素晴らしい本を書いた人は、(私(孔子))以外に知る人もいないが、決してそれを憤っているようなところがない(文中にということだが)。このような人を君子と呼ばずに誰を君子というのであろうか。と、私は、学而一を解釈している。