河のへのつらつら椿つらつらに見れども飽かず巨勢(せこ)の春野は
春日蔵首老(かすがのくらびとおゆ)
万葉集 巻一 ― 五六
言葉というのは不思議だ。「つらつら椿」の「つらつら」が分からなくても、「つややか」と「連なっている」の二つの言葉がかけられているんだろうなあと思えてくる。
巨勢の川沿いに艶やかな葉からこぼれるように椿が連なり咲いていた。
私はじっくりと見惚れていたが、見飽きることなかった。
なんと素晴らしい巨勢の春の野の景色ではないか。
うろ覚えなのだが、柳田國男 『明治大正史 世相篇』に「椿というのは神聖な木で、山に自生しているものだった。それを自宅の庭などに植えても良いのだということは、大昔は思いもつかなかったことだった。」といったことが書かれていたような気がする。
神聖な椿や山河を敬虔に見つめている古代人の視線を感じながら、この歌を声を出して読んでみた。