甘草(かんぞう)の芽のとびとびのひとならび 高野素十(たかの すじゅう)
この句は、「草の芽俳句」として、非近代的だと批判されたと言う。私には、批判の理由が全く理解できなかった。植物の小さな法則性を発見した喜びをリズム良く詠っている。植物に対する愛情も伝わってくるし、この法則性を発見した時の作者の笑顔が浮かんでくるようだ。
この句の作者が、童心を持ち続けていることに憧れてしまう。(いや、童心を失わないように、自己研鑽しているのかもしれないが。)
甘草(かんぞう)の芽のとびとびのひとならび 高野素十(たかの すじゅう)
この句は、「草の芽俳句」として、非近代的だと批判されたと言う。私には、批判の理由が全く理解できなかった。植物の小さな法則性を発見した喜びをリズム良く詠っている。植物に対する愛情も伝わってくるし、この法則性を発見した時の作者の笑顔が浮かんでくるようだ。
この句の作者が、童心を持ち続けていることに憧れてしまう。(いや、童心を失わないように、自己研鑽しているのかもしれないが。)