冥(くら)きより冥き道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月 和泉式部
私の意訳は以下の通り。
「俗世の中で無明なるままに生活し(仏道の修行に精進こともないままに)、今後も俗世の生活に望みを持ち、暮らしていく私だとは思いますが、どうか、山の端に出た月が辺りを照らしているように、ご上人様、私を守り、お導き下さい。」
普通の感覚であれば、「迷妄の道を進んでいる私です。明るい道(出家)へと進みたいのですが、主人や子供がおり、この道を脱することができません。」と、言葉を丸くするところだが、和泉式部には言葉を丸くする素振りもない。<冥(くら)きより冥き道にぞ入りぬべき>とはよく読んだものだ。こういう率直さが、与謝野晶子へと通じている。
冥(くら)きより冥き道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月 母
夜の帳(ちやう)にささめき尽きし星の今を下界の人の鬢のほつれよ 娘(姉)
とほき世のかりよびんがのわたくし児(ご)田螺(たにし)はぬるきみづ恋ひにけり 息子(弟)
というのが、私の比歌句の並べ方だ。