子規逝くや十七日の月明に 高浜虚子(たかはまきょし)
この句をただ解釈すれば、「子規は九月十七日に逝ってしまった。長月の十七日の月が明るく照らしている中で。」ということになる。(俳句では、単に「月」と言えば、「秋」ということになっているということだ。)
しかし、この“九月十七日”とはいつのことを言っているのか。(大丈夫、まだ呆けてはいない(多分)。)
子規の命日は、一九〇二年(明治三五年)九月十九日だ。
しかし、旧暦に直すと十月十七日に相当する。そして、子規は西行を敬愛していた。
これらを考えあわせて、「(西行は自ら望んだようにお釈迦様」に遅れること一日、如月十六日に逝かれましたが)子規は、(花ではなく、月を愛でる月の)長月十七日の月が明るく照らす夜に逝かれました。(西行慕う子規には、ふさわしい死に時だと思って、亡くなられたことを偲びましょう。)」と、私は解釈した。
仏にはさくらの花をたてまつれわがのちの世を人とぶらはば 西行
柿喰ヒの俳句好みしと伝ふべし 正岡子規
さあ、どう思われますか。