世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし 在原業平(ありわらのなりひら)
「世の中に桜というものがなかったならば、うららかな春に、私の心はどんなにのどかになることだろうか。」
惟喬親王一行が鷹狩りに出かけ、「なぎさの院(親王の別荘)」に立ち寄った際に、桜の木の下で歌を詠むことになった。その時にお供として随行していた業平が詠んだ歌とのこと。
「世の中にたえて桜のなかりせば」と詠いだしたところで、その宴に居た人々は、きっと詠っている人に注目しただろう。「桜がなかったら、春の情緒なんかあったもんじゃあない。さわ、どう詠い次ぐのか。」
「春の心はのどけからまし」で、お見事とやんやの声援を送ったことだろう。
ユーモアと情感を上手に合体させて、桜に恋焦がれている気持ちを表現している。
ついでだが、業平はこういうきわどいユーモアが好きだったのだろう。
藤原基経の四十歳の算賀で
<桜花散りかひくもれ老いらくの来むといふなる道まがふがに>
と詠っている。
「桜花散りかひくもれ老いらくの」で祝いの歌で禁句のような<老いらくの>と詠った時点で、その場にいた人々は、はらはらしたと思う。
<来ると聞き及んでいる道が分からなくなるまでに>で、ああそうかと納得したしたと思う。
<老いらくの>に意識が集中してしまっているところに、やっと、<桜花散りかひくもれ>が繋がったからだ。将に際どいユーモアだ。