毎年よ彼岸の入りに寒いのは 正岡子規
子規は、母親の話し言葉をそのまま俳句にしてみせた。まずは、母親にこの俳句を披露しただろう。(妹にも)この句の背後には、母親との仲睦まじさが感じられ、ほのぼのとした感じになる。この、言葉には表されていない明るい雰囲気がこの句の命だ。
子規の句や歌、そして文章には、病気を感じさせない、更に言えば、病気に負けていない明るさがある。
毎年よ彼岸の入りに寒いのは 正岡子規
子規は、母親の話し言葉をそのまま俳句にしてみせた。まずは、母親にこの俳句を披露しただろう。(妹にも)この句の背後には、母親との仲睦まじさが感じられ、ほのぼのとした感じになる。この、言葉には表されていない明るい雰囲気がこの句の命だ。
子規の句や歌、そして文章には、病気を感じさせない、更に言えば、病気に負けていない明るさがある。
この土手に登るべからず 警視庁
宮城のお堀端に掲げられた高札だという。
寺田寅彦の随筆に、友人が来て今日、俳句を見つけたと言ってきたのが、「この土手に登るべからず 警視庁」だということが書かれてあった。(題名は忘れた。)
俳句でないものを俳句だと惚けたおかしみがある。
また、ある欧州人が来て、俳句を作ったから見てくれという。
それが、「鎌倉に鶴が一匹居りました。」だったという。
その欧州の友人にどう応えて良いものやら対応に困ったとのこと。
私事ですが、とある正月休みに公園を散歩していたら、連凧が青空に揚がっていた。
うむとばかり、「連凧や龍の如くに舞ひ上がる」と詠んだ。
すると、中年の女性がやはり連凧を見上げて、「すご~い!まるで龍みたい。」と仰った。
連凧は、誰でもが龍であると(龍が想像上の生きものだとしても)連想するものであることを思い出した。ということは、「連凧や龍の如くに舞ひ上がる」という句は、全く独創性のない駄句であることに気づいた。
いやあ、自分で言葉を発見することは難しい。
寺田虎彦の欧州の友人の句は、ただの報告、私のはありきたりの比喩だということだ。