とほき世のかりよびんがのわたくし児(ご)田螺(たにし)はぬるきみづ恋ひにけり 斎藤茂吉
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
仏典にみえる鳥の名。サンスクリット語のカラビンカKalavikaの音写。歌羅頻伽(からびんが)、羯羅頻伽、迦毘伽羅(かびから)、迦陵頻とも写し、鸞(らん)、哀鸞(あいらん)、妙声、美音、美音言、好声鳥、好音声鳥などと訳される。インドホトトギスのこととされ、スズメに類した鳥であるが、ことにその声の美しいことで有名。雪山(せっせん)に住む美声の鳥であるとも、極楽(ごくらく)の鳥であるともいう。浄土曼荼羅(じょうどまんだら)絵では人頭鳥身の姿に描かれる。なお迦陵頻の舞は、仏を供養する法会(ほうえ)に行われた古い舞楽の名である。[伊藤瑞叡]
「お釈迦様がまだ生きていらっしゃった遠い昔、妙なる声で鳴く迦陵頻伽の私生児として生まれた田螺は、冬の冷たい水の中で耐え忍んでいましたが、春のぬるくなった水を恋しく思いました。」
田螺がなぜ迦陵頻伽の私生児なのかということは、茂吉さんのインスピレーションでしょう。
私は何故か与謝野晶子の<夜の帳(ちやう)にささめき尽きし星の今を下界の人の鬢のほつれよ>が姉弟の関係のように思えてならない。
賢明で霊感が強く活発に発言する姉、その姉に憧れて従う弟。そう感じてしまいます。
ただし、茂吉は
味噌(みそ)うづの田螺たうべて酒のめば我が喉仏(のどぼとけ)うれしがり鳴る
と田螺を美味しく頂いてしまうのですが。