死後は医の材になる身の花見哉 ?????
※この句とは、大岡信さんの『折々のうた』で出会ったのですが、作者名を失念してしまいました。ネットで調べましたが、検索で引っかかりませんでした。作者名が分かり次第、この項を更新させて頂きます。
この句をどうしても<またや見む交野のみ野の桜狩花の雪降る春のあけぼの>と並べたかった。
『折々のうた』で、この句の作者がある方と花見にご一緒された時に、「私は死んだら、病院に献体することにしている。」ということをお聞きになって、この句を作られたというよう解説がなされていたと記憶しています。
死を前にして、落ち込むことなく現在を満喫しようしている態度、死後に自分の体を捧げようとする意志、凄いなあと思いました。
自分にはできない。そんな感じです。