風天道人の詩歌、歴史を酒の肴に

短歌や俳句の鑑賞を楽しみ、歴史上のエピソード等を楽しみます。
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竹の子や 服部嵐雪(比歌句 29左)

2018年04月27日 | 和歌

竹の子や児(ちご)の歯茎のうつくしき 服部嵐雪(はつとり らんせつ)

 

「今日のおかずは若竹煮だ。旨い!我が子も無心に筍を食べている。いやあ、しかし子供の歯茎は桃色で何とも美しいものだなあ。」というのが、私の意訳です。

 

またまたですが、『古典詞華集一』 山本健吉 小学館より

<『源氏物語』横笛巻に、薫の君が幼かった時、筍を食べようとして、「御歯のおひ出づるに食ひあてむととて、笋(たかうな→たけのこ)をつと握りもちて、雫もよゝと食ひぬらしたまへば、いとねぢけたる色好みかなとて」という、源氏の君の戯れに言葉をうちかえして、「うつくしき」とと言った。

櫑子(らいし→高坏)に盛った笋に、児(ちご)が早くも目をつけたのを、源氏は「あなろうがはしや」(ふしだらだ)と取り片付けさせて、女三の宮をはじめ女房たちの多い中で、こんな児のふるまいは一寸困ったことだと言った、そのことを含みとして、なお笋を離さないでしゃぶろうとする児の姿に、「ねぢけたる色好み」との言葉があるのだ。

嵐雪の句は、そんな含みを拭いさって、ただ「美しき」と言った。ねぢけた色好みから、無心の美しさに転じたのだ。>とある。

山本健吉さんの鑑賞を読んでいると、日本の文芸は古典を下地や俤にして発想を膨らませていくものだということが理解でき、とても良い勉強をさせて頂きました。

まずは、『伊勢物語』と『源氏物語』を熟知しておくことが基本だと。

いやあ、勉強できるかなあ。

但し、嵐雪の句が、「そんな含みを拭いさって」いるのか、「そんな含みは考えてもみなかった」のか。私は、「無心の美しさに転じた」のではなく「無心の美しさを詠んだ」のだと思いました。

もし、この句が<笋(たこうな)や>であれば、山本先生に同意したのですが。