風天道人の詩歌、歴史を酒の肴に

短歌や俳句の鑑賞を楽しみ、歴史上のエピソード等を楽しみます。
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月に行く 夏目漱石(比歌句 23 地)

2018年04月12日 | 和歌

月に行く漱石妻を忘れたり 夏目漱石(なつめ そうせき)

啄木の歌

旅を思ふ夫の心!

叱り、泣く、妻子の心!

朝の食卓!

と並べると、旅に出掛けられない啄木が、まあ羨ましがっていること。

歌句を並べて楽しむとそのように感じる。

 

但し、「妻を忘れたり」の真意が気になるが、私には句の表現からはそれ以上読み取れなかった。いや、それ以上読み取れないように詠んでいるように思えた。

 

そこで、ネットで調査。これ以上ない解説を発見。

増殖する俳句歳時記 清水哲男

http://www.longtail.co.jp/~fmmitaka/index.html

 

<あまりの月の見事さに、傍らの妻の存在も忘れてしまった。と、ちょっと滑稽な味付けで月を愛でた句。句意はこの通りでもよいのだが、前書に「妻を遺して独り肥後に下る」とある。漱石が1897年(明治三十年)に、熊本は五高の教授として単身赴任するときの句だ。このときの漱石には、妻を忘れようにも忘れられない事情があった。妻の鏡が流産して静養中の身だったからだ。一緒に行こうにも、行けなかった。止むを得ぬ単身赴任。そこで『吾輩は猫である』の作者は、境遇を逆手にとった。わざと事実を詠み違えた。肥後の月の美しさに魅かれて、俺はお前のこともすっかり忘れて出かけるんだよ。俺のことなど案じるなかれと、病む妻に反語的ながら、慈愛の心で挨拶を送っているのだ。当時の単身赴任は、相当に心細かったろう。胃弱の漱石のことだから、ちくりちくりとと胃の痛む思いだったろう。だから掲句は、同時に心細い我とわが身を励ますためのものだったとも読める。そうに違いない。月を詠んだ句はヤマほどあれど、この一見あっけらかんとした句には、異色の味わいがある。噛めば噛むほど、味が出る。『漱石俳句集』(1990)所収。(清水哲男)>

 

素晴らしい。目から鱗だ。但し、俳句鑑賞というよりは、漱石研究の範疇であるとは思うが。

 

残念ながら、この増殖は2016年8月8日で打ち上げとなったが、膨大な量の俳句の鑑賞を味わうことができる。是非、ご覧になって下さい。

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