紙のカフェOTTO通信9月号が出来上がりました。イベント情報やイベント報告多数掲載。
8月号でも触れていますが、安倍元首相の国葬に反対の論陣を張っております。安倍元首相については様々な問題点がありました。銃撃を受けて黙っているつもりでしたが岸田首相が国葬を言い出した。国葬は現憲法とは相容れないので無くなったはず。それを持ち出したとなると黙っているわけにはいかなくなりました。
●安保法を導入し、日本が攻撃されてもいないのに自衛隊員を派兵するという憲法違反。
●モリ・カケ・サクラなど、国政と税金の私物化。公文書改ざんや100回以上のウソ答弁。
●統一教会との3代に渡る癒着。
その他にも公共放送への介入や選挙公約を堂々と反故にし、TPPを推進。アベノミクスで貧富の差を拡大など、日本を疲弊させた。
統一教会と安倍氏との大きな接点が明るみになるにつれ国葬反対が賛成を大きく上回る事態となっています。あわてた政府は「国民には弔意を求めない」(松野博官房長官)と明言しました。しかし国葬とは「敬意と弔意を国全体として表す国の公式行事」と定義しています。
中曽根元首相の時には国葬ではありませんでしたが「広く故人への弔意を求める」と閣議決定。それじゃ国葬はそれよりも軽い行事なのか?言葉を重ねるごとに矛盾は広がります。
聞く耳を持たない岸田首相
「聞く力がある」と自己宣伝していた岸田首相。しかし国会も開かずに国葬を決めました。殆どの世論調査で国葬反対が賛成を大きく上回っています。その意見を聞く力は持ち合わせていないみたいです。
原発推進
福島第一原発の事故を受け、安倍政権でさえ原発の新造は言いませんでした。ところが岸田首相、選挙公約にも書いていないことを堂々と進めています。事故後11年が経過しましたが、汚染水はたまる一方で事故は収束していません。未だに帰還困難地域も残っています。原発は作るのに10数年、稼働は40~60年、廃炉には30年かかると言います。こんな物騒な物は子孫に残すべきではありません。聞く耳を持たない岸田首相になってしまったようです。
今日はちと政治に触れてみました。
もし、今回のような事件がなければ訳のわからないN党のように統一党ができていたかもしれませんね?
貴方がおっしゃるように総理のリーダー性は本当に乏しいものです
確かに国の代表として国内だけじゃなく海外との折衝、多忙期周りない職だと思いますが、自ら立候補して総理の座を奪い取り重責を担うと言ったからには、遠回しな説明で国民を裏切らず命懸けで誠意を持ったリーダーシップを取ってもらいたいですね
党内融和?仲良しこよしで政治改革なんてできる訳が無い
また、現在極右派の国の代表がややこしい問題を起こし世界が大混乱を起こしている
もし、そんな火の粉が我が国に降って来た時、この国の自衛は本当に大丈夫なのだろうか?
いまだにアメリカがしっかり守ってくれると思っているのだろうか?
第二次世界大戦、日本が中国(当時の日本満州局が統一を図る)へ攻め込まなければ核による全面降伏には至らなかった
おまけにソ連に北方領土、或いは沖縄も取られることはなかったのに、この原因を作ったのも全て議員のアホな発想から生まれたものだ
そんな敗戦の血を引き継ぐ日本の国会議員では今後も世界に対して弱腰の政治しかできないだろう
「お前(日本)は金さえ出していればいいんんだ!」
日本経済は今や借金国
民間事業が血の汗を流し身を粉にしなが一生懸命頑張っても国の運営が下手な議員たちによって赤字が増大し国債をバンバン発行
給料は上がらず、年金は下がり、保険料は上がり、共に物価も高騰、電力においてもと・・・先行き明るい見通しが見えてこない
政治家っているのだろうか?
もっと少なくして民営でできるもは任せて、余計な介入で懐を増やそうとせず
公務員たる者も民営化にしてみてはどうだろうか?
そうすれば民間人の上に胡座をかいてた気持ちがもっとわかるのでは?
とにかく、今の日本はある意味平和で安全な国のように見えるが、果たして国民は本当に満足しているだろうか?
歌をうたって♪ ベースを弾いている時がま〜なんとなく幸せかな〜って感じだろうな
とにかくこれから次の時代を担う若者たちの足枷にならないような政治をして欲しいものだ
歌を歌ってベースを弾いているときが幸せなんだが、それだけではOTTOを運営できませぬ。コーヒー売って新たなメニューも考えて、専門外のこともせねばならぬのです。
国葬に16億円と発表されましたが、もっともっと増えるでしょう。国葬そのものが現憲法とは相容れないのに岸田が無理矢理やろうとした。その上安倍自身は「反日」の統一教会と深く関わったことがバレてしまった。こんな人間の国葬なんてあり得ない。
カフェOTTO通信8月号に国葬反対を書いた時はかなり勇気が要りました。なんせ7月の世論では国葬賛成が反対を上回っていたのですからね。でも今は確信を持って9月号に国葬反対を続けました。
しかし各社のアンケートによる反対:賛成の比率が微妙な差は何故だろう?
とはいえ9月27日には日本武道館で国葬が執り行われる
さて、天皇が崩じたときに行われる大喪の礼は「国の儀式」として行われる事が皇室典範第25条に条文がある。
しかし、今回の安倍氏のケースと比べると、当たり前ながら大きな違いがいくつもある。
それは法的根拠が誤解の余地がないからだ。
つまり、天皇が崩御ほうぎょされた時は、必ず「大喪の礼」を行うべきことが明文で規定されている(上皇様も同様)。
したがって、その時々の内閣の恣意しい的(思い付き)な判断や政治的な思惑などが介在する余地はないからだ。
内閣府設置法を根拠とした“どんぶり勘定”的な曖昧さとはまったく違って、透明な運用が確保されている。
また天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は主権の存する日本国民の総意に基づくもの
そのように考えると、天皇が亡くなられた時も、「象徴」という重い地位にふさわしいご葬儀の在り方が、憲法上求められていることになる。
それが具体的には皇室典範に明記されている「大喪の礼」であり、「国の儀式」という位置付けとされるのも、この憲法の要請に基づくものだ。
そもそも、憲法が規定する国家機関の中で、直接「主権の存する日本国民の総意に基く」という最も正統性の高い地位にあるのは、「天皇」だけだ。
しかし安倍政権への評価は、国内で鋭く分岐している。
海外から多くの弔意が寄せられても、それを安倍氏がわが国の国益を重んじた結果とは短絡できない。
北朝鮮の拉致問題や核・ミサイルの脅威、中国との尖閣諸島をめぐる対立、ロシアに譲歩した北方領土問題など、外交上の重要な懸案は何一つ解決できなかった。
それに加えて、今回の銃撃事件の元凶である世界平和統一家庭連合(旧・世界基督教統一神霊協会)が、今も多くの人々に深刻な被害を与え続けている
しかも安倍氏が同教団と浅からぬ関係を持っていた事実が次第に明るみに出てくると、国民の間では「国葬」とすることに対して疑問視する声が大きくなっているのが現状だろう。
評価の対立が避けにくい政治指導者の場合は、「故人に対する敬意と弔意を国全体として表す」気持ちが本当にあるならば、よほど慎重な考慮と丁寧な手続きによって、幅広い国民の納得を得ることが、何より欠かせないはずだ。
このような時こそ、岸田首相がかねて標榜してきた「聞く力」を、存分に発揮すべき場面だったのではないだろうか。