「ヨットに住まないか?」友人の義兄が言う。「え~、だって、ここはパリでしょ?」それまで、パリに港があるのを知らなかった、しかもシャンゼリゼ大通のすぐ裏に。私の窮状を見かねて、セーヌ河に係留中の彼のヨットに住まないか、と言う話。勿論、私がヨットのガードマン・管理人を兼ねて、彼も安心、と言う訳。 <o:p></o:p>
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物価の高いパリで職がなければ貧乏生活は当たり前。住んでいた所はホテル。ホテルと言えば聞こえはいいが、それ以外住む所は橋の下だけ。場末の、8階建て、古く、狭く、小汚い部屋。しかもエレベーターは無い。一日にそう何度も往復できないから、出掛ける時は、入念に忘れ物が無いかチェック。そして、街では少々の距離なら歩いて行く、時間だけは潤沢だったから。食べ物だって、いつも同じ物。バゲット、ジャンボン、チーズ、コーニション(酢漬けの小指大のきゅうり)等など、来る日も来る日も同じ物。半年ほど通っていた学校でとる昼食も安さだけが魅力の質素な物。お昼に、形ばかり飲むワインの小瓶だってアルジェリア産。時々メニューの載る内臓の料理が楽しみだった。料理とは言っても、牛?の内臓を塩茹でにしただけの物。日本の所謂「もつ煮」はそれ程「形」が「あらわ」ではないが、「塩茹で」の物は、塩でただ単に茹でただけだから、その形は「あらわ」で、気になる人はちょっと嫌かも知れない。でも、味は抜群。以後、残念な事に食べる機会に恵まれない。安い「食材」でも「旨い」のは、やはりと言うべきかも知れない。<o:p></o:p>
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フランス人の朝食は残り物のフランスパンをトーストにしてジャムかバター、それに多めのカフェオレだけの、いたって質素。その代わり、日曜日の昼食は「料理」をする。テーブルクロスを広げ、親戚や友達が集まる。私が贅沢な「お食事」をしたのはそんな時だけ。アパルトマンと呼ばれる所謂「マンション」には勿論、旧式だがエレベーターがついている。セットになって地下にワインセラー、最上階にはグルニエと呼ばれる、「女中部屋」が付随している。各家の厨房の奥にその「女中部屋」に通じるドアがあり、暗く狭い螺旋階段を昇り降りする。今では、「女中さん」のいる家など少なく、家族が住むか人に貸したりもしている事が多い。当時から「エコ?」の進んでいたのか、窓の無いその螺旋階段には一定時間が経つと消える裸電燈があった。よっぽど早く歩かないと、大抵消えてしまい、真っ暗な中を歩かねばならなかった。<o:p></o:p>
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住んでいたホテルのドアをノックする「やつ」が居る。こんな時間に何?ベッドから起き出すと、昼間仲間と一緒に居た「ベルリン映画祭」に来たと言う映画女優が「泊めて」と言う。諍いがあって飛び出して来たらしい。断るほど「野暮」ではない。彼女は何も言わず、私がさっきまで寝ていた極小のシングルベッドに一直線に向かうと、そのまま潜り込んで背を向けた。<o:p></o:p>
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