「ホテル・エベレストビュー」ヘ向かうトラバース道。

ホテルのテラスから見える景色。正面左奥がエベレスト。

トレッカーで賑わう、ホテルのテラス。

ホテルは「ヒマラヤ観光開発」と言う会社の「宮原 巍」さん
(現在83歳でネパール国籍)が1971年に創業したホテル。
会社のHPには、こうある、
エベレスト・・・それは私にとって、むかしから遠い遠い夢の山であった。
幾多の探検と登山の歴史を秘めて、雲の上にそびえている高い高い山であった。
なにか遠い世界のことのように思っていたがその山が、いま目前にあった。
(宮原巍著:ヒマラヤの灯より)
1968年のことです。日本では東大紛争などをはじめ学生運動が巨いなる力として展開されていた時、宮原巍は一人ネパールに向かい、シャンボチェの丘に立ちます。そして、エベレストと初めて対面しました。
この3行にはその時の心を大きく揺さぶられる体験が凝縮されています。
「この世界を一人でも多くの人々に見てもらいたい。
そしてネパールを観光で豊かにしたい。」
その一心が宮原を突き動かし、ホテル建設計画が生み出されました。
その後、ネパールの観光局と折衝、当初は計画自体に難色を示されたものの宮原の情熱がネパール政府を動かし、また日本にいた数多くの友人の力添えにも後押しされ、わずか1年でカトマンズに会社を設立、1971年にはシャンボチェ飛行場が完成。
飛行場をベースに本格的にホテル建設がスタートしました。折しも宮原がエベレストに対面した翌年、ネパール王国はヒマラヤ登山を解禁とし、1970年代より観光立国を目指していきます。
ヒマラヤ観光開発(株)はこの時の精神に則り、観光によってネパール国と国民を豊かにしていこうという願いのもと、様々な旅行を企画・実施しています。 2013年現在、宮原はまだ現役の社長としてヒマラヤの国に熱い情熱をかたむけています。

ホテルのテラスから見える景色。正面左奥がエベレスト。

トレッカーで賑わう、ホテルのテラス。

ホテルは「ヒマラヤ観光開発」と言う会社の「宮原 巍」さん
(現在83歳でネパール国籍)が1971年に創業したホテル。
会社のHPには、こうある、
エベレスト・・・それは私にとって、むかしから遠い遠い夢の山であった。
幾多の探検と登山の歴史を秘めて、雲の上にそびえている高い高い山であった。
なにか遠い世界のことのように思っていたがその山が、いま目前にあった。
(宮原巍著:ヒマラヤの灯より)
1968年のことです。日本では東大紛争などをはじめ学生運動が巨いなる力として展開されていた時、宮原巍は一人ネパールに向かい、シャンボチェの丘に立ちます。そして、エベレストと初めて対面しました。
この3行にはその時の心を大きく揺さぶられる体験が凝縮されています。
「この世界を一人でも多くの人々に見てもらいたい。
そしてネパールを観光で豊かにしたい。」
その一心が宮原を突き動かし、ホテル建設計画が生み出されました。
その後、ネパールの観光局と折衝、当初は計画自体に難色を示されたものの宮原の情熱がネパール政府を動かし、また日本にいた数多くの友人の力添えにも後押しされ、わずか1年でカトマンズに会社を設立、1971年にはシャンボチェ飛行場が完成。
飛行場をベースに本格的にホテル建設がスタートしました。折しも宮原がエベレストに対面した翌年、ネパール王国はヒマラヤ登山を解禁とし、1970年代より観光立国を目指していきます。
ヒマラヤ観光開発(株)はこの時の精神に則り、観光によってネパール国と国民を豊かにしていこうという願いのもと、様々な旅行を企画・実施しています。 2013年現在、宮原はまだ現役の社長としてヒマラヤの国に熱い情熱をかたむけています。