3回にわたって紹介してきた世界思想の43号人口問題特集の巻末には、ポールクルーグマンの日本について考え直すという論考が掲載されています。彼が我が国の人口減少と国民経済との関係について、本質的かつアクチュアルな問題点を的確に突いていることに感心したのと、有識者であったり、専門家であるはずの日本人たちの情けないありさまとのあまりのギャップにトホホとなったのが、一連の記事を書いた動機です。
クル-グマンの文章はマクロ経済学と金融工学の基礎知識さえあれば容易に理解できるものですから、ぜひご一読をお勧めしますが、その内容をかいつまんで言えばタイトルに掲げた3つの語句の関連とその意味合いということになります。
彼は「日本は過去25年にわたって低成長を続けてきたけれど、その原因の多くは人口構成だ」と言い、その証拠として労働人口1人当たりGDPがアメリカと同程度で、ヨーロッパよりも良い成績だということを挙げます。では、なぜ日本の低インフレ/デフレが問題なのかと言えば周知のように財政問題であり、債務/GDP比率がどんどん上がり続けることだと言います。肝心なのは、「現状だと、政策金利が0%で身動きがとれないままだから、日本は財政引き締めの影響を金融拡大で相殺することができないのだ」と言うわけです。
だから、日銀はマイナス金利に動いたのでしょう。しかし、ここからが彼の本領発揮なのです。物価が上がりも下がりもしない、景気を完全に横ばいに保つ金利水準があるはずで、それをヴィクセルの自然金利と呼ぶそうですが、たとえそれが現時点でマイナスだとしても、いずれどこかの時点で正常なプラスの金利に戻るような経済が想定されていた、裏から言えばマネーサプライを増やせばいずれその分だけ物価も上昇するという直感に適合するためにはそういった想定が必要であり、流動性の罠の問題もおカネを永続的に増やせるという期待の問題に還元できる。しかしながら、日本の人口構成はヴィクセル金利を正常化する時点を示すことが著しくむずかしいと言います。下のグラフのように労働人口が減り続けるわけですから、仮に労働人口1人当たりGDPが従来どおり伸びたとしても、GDP総額も国民1人当たりGDPもどんどん希釈されていくでしょう。
金利は過去20年にわたって極めて低く、財政赤字はその間ずっと高く、それなのに一度も景気過熱の兆候すら見えなかったことの原因を人口の高齢化のみに求めなくてもいいと思いますが、今後の20年について論じる際にこの変化をなおざりにするのであればぼくは一顧だに値しないと考えます。彼が「日本は、マイナスのヴィクセル的自然金利がおおむね永続的な条件であるような国に見える」と述べる個所を読んで、やっぱりそうか、そうだよねと嘆息するほかありませんでした。
自転車に初めて乗る子どもはおそるおそるペダルを漕ぐので十分な勢いがつかなくて倒れてしまう。するともっと怖がってスピードを出さなくなるから、なかなか乗れるようにならない。こういった慎重に何かを行うこと自体が失敗をもたらす状況を及び腰の罠と言います。仮に日本が2%のインフレが達成できると世間を納得させられたとしても、少し景気が上向けば財政引き締めも必要だということになって経済は停滞し、結局2%は達成できなくなる。そして、信頼性に傷がつくので、これを繰り返すことはずっとむずかしくなる。既に及び腰の罠にはまっているように思えます。
じゃあ、2%を十分に達成できるまで財政引き締めは待ちましょうか? しかし、それはインフレ率が3%になればいいといったことではなく、企業の設備投資や投資家の投資意欲が十分かということでしょうから、金利との見合い、すなわち名目金利から期待インフレ率を引いた実質金利の水準の問題になるでしょう。この実施金利の議論はもっと詳しく論じた方がおもしろいんですが、ここでは世間では高すぎると言われている2%目標では実は長期停滞を脱出するには低すぎるということを理解してもらうだけに留めましょう。
日本にとって必要なのはものすごく強気に、財政政策と金融政策の両方を使ってインフレ率を引き上げ、それが持続可能なほど目標を高く設定する、すなわち脱出速度に達することだと彼は言います。なるほど、まるで背理法だなというのがぼくの感想です。彼はアベノミクスを評価しつつ、そこまで強気にはなれないし、それは日本の後を追って高齢化が進む欧米も同じことになる可能性が高いと見ているようですが、民主主義のジレンマといった政治学的な問題を意識的に避けているようなので、中国やインドやロシアのそれぞれの将来について、どう考えているのか訊いてみたいなと思いました。
クル-グマンの文章はマクロ経済学と金融工学の基礎知識さえあれば容易に理解できるものですから、ぜひご一読をお勧めしますが、その内容をかいつまんで言えばタイトルに掲げた3つの語句の関連とその意味合いということになります。
彼は「日本は過去25年にわたって低成長を続けてきたけれど、その原因の多くは人口構成だ」と言い、その証拠として労働人口1人当たりGDPがアメリカと同程度で、ヨーロッパよりも良い成績だということを挙げます。では、なぜ日本の低インフレ/デフレが問題なのかと言えば周知のように財政問題であり、債務/GDP比率がどんどん上がり続けることだと言います。肝心なのは、「現状だと、政策金利が0%で身動きがとれないままだから、日本は財政引き締めの影響を金融拡大で相殺することができないのだ」と言うわけです。
だから、日銀はマイナス金利に動いたのでしょう。しかし、ここからが彼の本領発揮なのです。物価が上がりも下がりもしない、景気を完全に横ばいに保つ金利水準があるはずで、それをヴィクセルの自然金利と呼ぶそうですが、たとえそれが現時点でマイナスだとしても、いずれどこかの時点で正常なプラスの金利に戻るような経済が想定されていた、裏から言えばマネーサプライを増やせばいずれその分だけ物価も上昇するという直感に適合するためにはそういった想定が必要であり、流動性の罠の問題もおカネを永続的に増やせるという期待の問題に還元できる。しかしながら、日本の人口構成はヴィクセル金利を正常化する時点を示すことが著しくむずかしいと言います。下のグラフのように労働人口が減り続けるわけですから、仮に労働人口1人当たりGDPが従来どおり伸びたとしても、GDP総額も国民1人当たりGDPもどんどん希釈されていくでしょう。
金利は過去20年にわたって極めて低く、財政赤字はその間ずっと高く、それなのに一度も景気過熱の兆候すら見えなかったことの原因を人口の高齢化のみに求めなくてもいいと思いますが、今後の20年について論じる際にこの変化をなおざりにするのであればぼくは一顧だに値しないと考えます。彼が「日本は、マイナスのヴィクセル的自然金利がおおむね永続的な条件であるような国に見える」と述べる個所を読んで、やっぱりそうか、そうだよねと嘆息するほかありませんでした。
自転車に初めて乗る子どもはおそるおそるペダルを漕ぐので十分な勢いがつかなくて倒れてしまう。するともっと怖がってスピードを出さなくなるから、なかなか乗れるようにならない。こういった慎重に何かを行うこと自体が失敗をもたらす状況を及び腰の罠と言います。仮に日本が2%のインフレが達成できると世間を納得させられたとしても、少し景気が上向けば財政引き締めも必要だということになって経済は停滞し、結局2%は達成できなくなる。そして、信頼性に傷がつくので、これを繰り返すことはずっとむずかしくなる。既に及び腰の罠にはまっているように思えます。
じゃあ、2%を十分に達成できるまで財政引き締めは待ちましょうか? しかし、それはインフレ率が3%になればいいといったことではなく、企業の設備投資や投資家の投資意欲が十分かということでしょうから、金利との見合い、すなわち名目金利から期待インフレ率を引いた実質金利の水準の問題になるでしょう。この実施金利の議論はもっと詳しく論じた方がおもしろいんですが、ここでは世間では高すぎると言われている2%目標では実は長期停滞を脱出するには低すぎるということを理解してもらうだけに留めましょう。
日本にとって必要なのはものすごく強気に、財政政策と金融政策の両方を使ってインフレ率を引き上げ、それが持続可能なほど目標を高く設定する、すなわち脱出速度に達することだと彼は言います。なるほど、まるで背理法だなというのがぼくの感想です。彼はアベノミクスを評価しつつ、そこまで強気にはなれないし、それは日本の後を追って高齢化が進む欧米も同じことになる可能性が高いと見ているようですが、民主主義のジレンマといった政治学的な問題を意識的に避けているようなので、中国やインドやロシアのそれぞれの将来について、どう考えているのか訊いてみたいなと思いました。