夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

歌物語:月影

2005-12-22 | tale
  大空の 月の光し 清ければ   かげ見し水ぞ 先づこほりける             よみ人しらず・古今和歌集  もしあなたが人生を放り出してしまいたいなら、ウィーンに行けばいいだろう。例えば5月のいちばん美しい季節に来て、さわやかな夏にシェーンブルン宮殿を始めとしたあちこちの名所・旧跡を見て歩き、とても短い秋にプラーター公園の長い並木道を散策し、長くて暗い冬をローデンの重くてあたたか . . . 本文を読む

歌物語:思ひ草

2005-12-13 | tale
   野辺見れば 尾花がもとの 思ひ草    枯れ行く冬に 成りぞしにける                和泉式部・新古今和歌集  月曜日に朝寝するっていまだになじめない。あわてて目を覚まし、出かける用意をしそうになってから、会社に行く必要がないんだって気づいて苦笑いしてしまう。あんなに月曜日の満員電車が嫌いだったのに、なんだか物足りないような、落ち着かないような気がする。目玉焼だって朝に . . . 本文を読む

ジャパン・レクイエム:Requiem Japonica(54)最終回

2005-12-02 | tale
 そんなある日(宇八の理解では11月の終わり頃だった)、甥の鳥海童が見舞いに来た。もちろん栄子の親戚には連絡していないので、なぜ甥が来たのか理解できず、妄想のようなものかなと思っていた。実は、童は行方不明になってしまった伯父を探すべく、市役所の窓口で2時間粘って、挙句の果て大声を出して役人どもを驚かし、行方を聞き出したのであった。病院に何とかたどり着いたものの病気が病気だけに看護婦が扱いかねてい . . . 本文を読む

ジャパン・レクイエム:Requiem Japonica(53)

2005-11-28 | tale
 旅から戻ると、宇八はその足で病院に行った。かねてから決めていた大学病院であった。無駄な時間や手間を掛けたくなかったからだった。しかし、自覚症状を何人も違った医師に説明し、脊髄に針を刺すような苦痛を伴うものを含め多くの検査に付き合わなくてはならなかった。その間は駅前のカプセルホテルに泊まっていた。5日ほどして入院が命ぜられ、決まったわけではないがと、しつこく念を押されながら診断名が初老の医師から . . . 本文を読む

ジャパン・レクイエム:Requiem Japonica(52)

2005-11-25 | tale
 新幹線に乗って東京に向かった。東京が目的地というわけではなかったが、10年前の放浪、栄子からすれば行方不明の出発点が東京だったので、そこからまた始めてみようと思ったのだった。輪子や月子に連絡する気はなかった。根津のビジネス・ホテルに一泊して、上野から中距離電車を乗り継いで行く。東北新幹線は大宮から開業していたが、上越新幹線はまだできていなかったので、新潟の方へ向かう列車のダイヤにあまり変化はな . . . 本文を読む

ジャパン・レクイエム:Requiem Japonica(51)

2005-11-21 | tale
 9月15日当日は、暑さは残るものの良い天気だった。アパートの近くの集会所を借りて、白いテーブルクロスを掛けた会議机の上に骨箱と写真を置いて祭壇ふうにし、ちょっとした酒とつまみを出した。宇八は特にあいさつするわけでもなく、ビールを片手に、「じゃ、始めましょうか」と言って、グラスをちょっと差し上げただけだった。教会でもなく、僧侶を呼ぶわけでもなく、儀式性というものを欠いているから、達子と光子が密か . . . 本文を読む

ジャパン・レクイエム:Requiem Japonica(50)

2005-11-18 | tale
 10 生者のためのレクイエム~LIBERA ME  8月17日に栄子が死んで、翌日が通夜(カトリックでは本来行わないものであるが、日本の風習に従い、前夜祭と称して行われている)、その次の日が教会での葬式と手際よく決まっていった。真夏の不幸である。勢ぞろいした栄子の兄妹たちは大汗をかいていた。達子や光子などはもうとっくに夏の喪服を用意していた。甥や姪の中でも比較的都合のつきやすい、稔、攻 . . . 本文を読む

ジャパン・レクイエム:Requiem Japonica(49)

2005-11-14 | tale
 8月の旧盆前から、ついに栄子の最期の時が近づいてきた。塗油の秘跡が例の日本人神父を呼んで行われた。信者として死を迎える以上、好悪を言うわけにもいかないのだ。集中治療室に移され、いよいよ今夜かという夜が何回となくあった。そのたびに医師や看護婦がざわざわと現われ、治療が行われ、持ち直す。 「もう、楽にしてあげて」という光子の声は家族、親族全員の気持ちを代弁していた。栄子の意識は混濁していたが、時 . . . 本文を読む

ジャパン・レクイエム:Requiem Japonica(48)

2005-11-11 | tale
 7月になってまた見舞い客が増えてきた。もういよいよ危ないということが口コミで伝わるのだろう。達子、光子、欽二らに加え、正一や昭三も妻を伴って顔を見せた。甥や姪も何人か来た。 「みんな待ちくたびれているみたいね」と栄子はかすれた声で、耳を寄せた達子に言った。達子は返事もできず、笑うとも泣くともつかない顔をしていた。  その月の終わりには、長崎大水害を初めとする集中豪雨が各地で猛威をふるった。そ . . . 本文を読む

ジャパン・レクイエム:Requiem Japonica(47)

2005-11-07 | tale
 梅雨入りしてまもなく、栄子は2度目の帰宅をした。前回と同じく2泊3日である。タクシーで着いて、アパートの玄関から部屋の布団まで、宇八が抱きかかえていったが、何か空箱のような軽さであった。輪子が気力をなくしてしまっていたため、部屋があまり片付いていないのも、もう気にしなかった。二人が結婚した頃の話をしたがり、コロッケが食べたいと言った。一緒になった、1955年頃は本当に貧しかった。銭湯に行くおカ . . . 本文を読む

ジャパン・レクイエム:Requiem Japonica(46)

2005-11-04 | tale
 ゴールデン・ウィークになった。入院患者には無関係なもののようだが、雰囲気が微妙に違う。自宅に帰る患者も多く、見舞い客も少なくない。しかし、家にも帰れず、訪れる者もいない患者と世間が休みでも働かなければならない看護婦たちの気持ちが病棟全体に漂い、どこか寂しげで不機嫌である。栄子もそういう気分に伝染したのか、夫と娘にわがままを言ったり、昔のことを話題にしたりした。輪子がむくリンゴに目を遣りながら、 . . . 本文を読む

ジャパン・レクイエム:Requiem Japonica(45)

2005-10-31 | tale
 昨年入院した時は、達子や光子はすぐに見舞いに来たが、2度目ということもあって(輪子は父親に言われたように言うことができた)、1週間以上経ってから見舞いに来た。ただ前回とは違う姉の様子、特に肉が落ち、顔色が妙に黄色いことに驚き、病室を出るなり、達子は地下の喫茶店に、光子は薬局の前の長いすに、宇八を引っ張って行って詰問した。やはり姉妹というものは、同じような反応をするものだと彼は感心した。その時に . . . 本文を読む

ジャパン・レクイエム:Requiem Japonica(44)

2005-10-28 | tale
 9 病院の神々~コンムニオ  我々はこれから悲しい話ばかりしなくてはならない。すぐ前にルーカス神父の帰国について触れた。その傷が癒えたかのように見えた頃、翌年の2月から話を再開しようと考えているが、その主な内容は栄子の闘病と死である。これを悲しまずしてどうしようかと我々も思うが、ただそれを悲しみの色だけで語っていいのだろうか。我々の物語の登場人物たちは、悲しみという通奏低音の上に様々な色 . . . 本文を読む

ジャパン・レクイエム:Requiem Japonica(43)

2005-10-25 | tale
 9月のお彼岸にいつものように、教会におはぎを持って行った。ルーカス神父も見舞いに来てくれていたので、そのお礼の意味もあって家族3人で行ったのだった。入院時に病院の食事に辟易していた栄子がこっそりと大福餅を輪子に持って来させたのが口に白い粉が付いていて看護婦に見つかってしまったといったエピソードなどを話しながら、みんなおはぎを2つ、3つ食べた。神父が淹れてくれたお茶もお代わりした頃、神父が訊い . . . 本文を読む

ジャパン・レクイエム:Requiem Japonica(42)

2005-10-21 | tale
 東京から帰ると宇八は、『アニュス・デイ』の構想をまとめていった。弦楽五部と通奏低音のオルガンだけなので、そんなに複雑なことはできない。独唱と合唱に工夫をすることにした。かつて親戚の新年会でやった十字形の配置を思い出した。これは、シュッツも『音楽のお葬式』の演奏で推奨している配置でもあった。教会の場合の奥、祭壇のある方にソプラノの独唱を置き、そこから反時計回りにアルト、テノール、バスと配置する。 . . . 本文を読む