出会いって、今はなんかあやしい意味に使われてるような感じですけど、トキメキみたいものがあっていい言葉だと思います。異性だけじゃなくて、音楽や映画や絵画、本とかについても出会いはあるような気がします。別に広告とか評判とか誰かに教えられたわけじゃなくて、ふと目に付いてって感じで。音楽だと耳に付くのかもしれませんけど、それだと悪い意味になるのがおもしろいですね。
絵画で言うとフラゴナールの「読書」って絵を中学生の頃に確か教科書で見て、ときめいた記憶があります。絵としてならダリの作品に影響を受けてた時期ですが、この絵の場合はこの女性が好きになったって感じでした。教科書の複製画をじっと見たり、それもなんだかもったいなくて伏せておいてちらっとだけ見たり。……たぶん横を向いているのがいいんでしょう。こっちを見てほしいような、いややっぱり知らんぷりして本を読み続けていてくれた方がいいような。そんな頃から屈折したような感情に親しんでいたなんて、いやはやそれじゃあモテないはずだって思いますが。
ツンデレって流行ってるようです。私はちょっと違ってこういうツンツンがいちばんいいような気がします。そんなことを言うと周りの女性はどう反応するんでしょうね。いきなりツンツンし始めたら、私に気があることになります。かと言ってデレデレすると思うツボかもしれませんw。……自分でも相当おバカなことを考えてるなって思いますが。
トーマス・マンに「トニオ・クレーゲル」っていう中篇小説があって、全然振り向いてくれない女性を愛する話です。もうちょっと言うと、愛してくれない人を愛するのを正当化して、芸術活動の根拠にまでしちゃったような内容です。……今だからこんな冷たい言い方になりますけど、10代の頃はこの小説にまさに出会ったって感じでした。北杜夫がとても好きな作品ですが、私も読めもしないドイツ語の原書を買ったり、大学の卒業旅行でマンの故郷で、この作品の舞台のリュベックまで行って、描かれてる場所を探し当てようと暗くて寒い晩冬の街を歩き回りました。なぜかお昼に中華料理店で、牛肉の細切り炒め麺と春巻きを食べました。音を立てて麺をすすると周りから視線が突き刺さったのと、春巻きはFruehling Rolleでそのまんまなのがおかしかったのを覚えています。
芸術はこっちのことなんか振り向いてくれません。小説なんかで自分のために書かれた作品だとか思うのは、若い時の特権と言うか幻です。私は小説で言うとドストエフスキーやバルザックみたいに引きずりまわしてくれるような作品が好きで、向こうからもみ手をして近づいてくるようなのはバカにしてるところがあります。それがそのまま女性についても同じであれば、どうしようもないと言うか、ある意味立派なんでしょうけど、そこまではいきません。でも、好きな人が振り向いてくれないのってそれほど嫌いじゃないですね。変と言えば変ですが。
そういうとすぐに思い出すのがシラノ・ド・ベルジュラックですけど、ロスタンの戯曲も映画も知りません。ドンキホーテなんかと同じようにパロディとしての方がよく知られている人物(こちらは実在の人物ですが)のような気がします。つまりある種の男の典型ですね。鼻が大きいというのは変な精神分析をしたくなるような特徴で、隠しておきたい性欲でもいいんですが、誰でも持ってるコンプレックスと言った方が広がりがあるような気がします。裏返されたプライドとも言います。
さて、こういうふうに書いていくと私の女性との出会いを書かないといけないような気がします。でも、そういうのって書けないんですね。恥ずかしいのか、面倒なのか、それとも他の理由があるのかよくわかりませんが、まあそういう設定になっていると思ってください。
絵画で言うとフラゴナールの「読書」って絵を中学生の頃に確か教科書で見て、ときめいた記憶があります。絵としてならダリの作品に影響を受けてた時期ですが、この絵の場合はこの女性が好きになったって感じでした。教科書の複製画をじっと見たり、それもなんだかもったいなくて伏せておいてちらっとだけ見たり。……たぶん横を向いているのがいいんでしょう。こっちを見てほしいような、いややっぱり知らんぷりして本を読み続けていてくれた方がいいような。そんな頃から屈折したような感情に親しんでいたなんて、いやはやそれじゃあモテないはずだって思いますが。
ツンデレって流行ってるようです。私はちょっと違ってこういうツンツンがいちばんいいような気がします。そんなことを言うと周りの女性はどう反応するんでしょうね。いきなりツンツンし始めたら、私に気があることになります。かと言ってデレデレすると思うツボかもしれませんw。……自分でも相当おバカなことを考えてるなって思いますが。
トーマス・マンに「トニオ・クレーゲル」っていう中篇小説があって、全然振り向いてくれない女性を愛する話です。もうちょっと言うと、愛してくれない人を愛するのを正当化して、芸術活動の根拠にまでしちゃったような内容です。……今だからこんな冷たい言い方になりますけど、10代の頃はこの小説にまさに出会ったって感じでした。北杜夫がとても好きな作品ですが、私も読めもしないドイツ語の原書を買ったり、大学の卒業旅行でマンの故郷で、この作品の舞台のリュベックまで行って、描かれてる場所を探し当てようと暗くて寒い晩冬の街を歩き回りました。なぜかお昼に中華料理店で、牛肉の細切り炒め麺と春巻きを食べました。音を立てて麺をすすると周りから視線が突き刺さったのと、春巻きはFruehling Rolleでそのまんまなのがおかしかったのを覚えています。
芸術はこっちのことなんか振り向いてくれません。小説なんかで自分のために書かれた作品だとか思うのは、若い時の特権と言うか幻です。私は小説で言うとドストエフスキーやバルザックみたいに引きずりまわしてくれるような作品が好きで、向こうからもみ手をして近づいてくるようなのはバカにしてるところがあります。それがそのまま女性についても同じであれば、どうしようもないと言うか、ある意味立派なんでしょうけど、そこまではいきません。でも、好きな人が振り向いてくれないのってそれほど嫌いじゃないですね。変と言えば変ですが。
そういうとすぐに思い出すのがシラノ・ド・ベルジュラックですけど、ロスタンの戯曲も映画も知りません。ドンキホーテなんかと同じようにパロディとしての方がよく知られている人物(こちらは実在の人物ですが)のような気がします。つまりある種の男の典型ですね。鼻が大きいというのは変な精神分析をしたくなるような特徴で、隠しておきたい性欲でもいいんですが、誰でも持ってるコンプレックスと言った方が広がりがあるような気がします。裏返されたプライドとも言います。
さて、こういうふうに書いていくと私の女性との出会いを書かないといけないような気がします。でも、そういうのって書けないんですね。恥ずかしいのか、面倒なのか、それとも他の理由があるのかよくわかりませんが、まあそういう設定になっていると思ってください。
それにしても夢さんって、少年時代から感受性の非常に鋭いお方だったのですね、ちょっとびっくりです。やっぱり小説書くような人は違いますねえ~
ベートーベンって実は男性が好きでそれをカモフラージュするために身分違いの人ばかり好きになって、わざと失恋してたって聞いたことがありますが、もしかして夢さんみたいに相手にされないのを楽しむ(本当にそうならね)ようなとこあったのかな、なんて思ってしまいました。
ちなみに私は感受性って言うよりは女々しい(問題表現?w)だけで、でもモーホーじゃないです。。。ホントです
ベートーベンが好きなのはやはり女性で、でも「またフラれたよ~えへへ…」っていうのを楽しむような人だったのかな、という第3の説が私の中で浮上しただけです。
ベトベンについての新説ですね。。ツンデレ説として発表すればけっこういけそうな気がします。見るからにオタクっぽいし。
私はいろいろな変わった趣味に理解がある方だと思うんですが、幸か不幸か同性愛はよくわかりません。ついつい過剰に反応してしまいましたw。