目が覚め窓を開けてみると、目の前には懐かしの西武ドーム。
朝食をモリモリ食べて、宿を後にした。
今日の目的地は4か所。
所沢航空公園。
東村山の和菓子屋。
東村山中央公園。
昔住んでいたアパート。
と言う訳で一路航空公園へ。 昨日お義姉さんから聞いていた通り、航空公園は市民祭りで物凄い騒ぎになっていた。
8時40分に着いたのけど既に人が沢山。 屋台などブースも物凄い数が出ていた。 数百軒はあったんじゃないのかな? B級グルメの屋台もたくさん出ていた。
公園内を歩いて行くとそこには懐かしの飛行機。 展示してある飛行機を見て、ようやく息子は少し思い出してきたようだ。
屋台を見て回っていると “ ドネルケバブ ” と言う文字が目に飛び込んできた。 屋台のお兄さんに料理の事を色々と教えてもらった。 ただ、朝食をモリモリ食べた後だったので購入できず。。。
公園を南下していくと、そこには懐かしの遊具たち 。
東京に居た頃は東村山中央公園で遊んでから航空公園へハシゴして遊 ぶのが週末の日課になっていた。 疲れ知らずの二歳児にはうってつけだったと思う。
9時過ぎなのに流石はお祭りの日。 すでに遊具も混んでいた。
あの頃は貸切だったなぁ。 もっともあの頃でも10時を超えると、駐車場が満車になることもしばしばあったっけか。
散々遊んで小腹が空いてきたところで先ほどのトルコ人のお兄さんの屋台へ。
っと思ったら屋台に居たのはどうみても僕らと同じ日本人のお祖父ちゃん。 訳を聞くと、お兄さんの店に野菜を納めている農家のおじいさんで、お手伝いに来たのだそうだ。
おじいさんに具がはみ出そうなくらいのドネルケバブを作ってもらった。 近くのベンチで食べてみると ・ ・ ・ 美味い! しかもたちの悪いことにビールが欲しくなる香辛料タップリ。
おじいさんにお礼を言おうと店に戻ると丁度一服して帰って来たトルコ人のお兄さん。 思わず記念撮影。
航空公園を後にして次は東村山駅西口。 妻の実家と、向かいの姉妹へのお土産購入。
日本を代表するあるタレントの同級生が経営している和菓子屋。
お目当ては素朴な味の美味しい普通の饅頭。 ただ、饅頭に焼きつけてある言葉を除けば・・・
駅から15分ほど走り次は東村山中央公園。 期待に胸を膨らませて行ってみると ・ ・ ・ 駐車場が満車で入れず。
なぜ二つの公園のハシゴを、中央公園からにしていたかは、まさにこの駐車場。 広い公園の割に、駐車台数が極端に少ないのだ。
泣く泣く中央公園をあきらめ最後の目的地。 かつて住んでいたアパート。
ナビの言う事を全く聞かずに裏道を抜け住宅街を通り抜けて到着。 建物は昔のままだったけど、周囲は大きく変わっていた。 春になるたびにベランダで砂遊びが出来るくらい砂が飛んできた里芋畑は跡形もなくなっていた。 でも野菜の無人販売所は残っていたな。
懐かしい景色を見ながら叔母と母の待つ板橋へ。 相変わらずナビの言う事には耳を貸さず、擦れ違い不可能な住宅街を抜けて所沢ICから高速に乗り、あっと言う間に和光ICへ。 下道を20分ほど走り叔母の所に到着。
家に入るなり娘は板橋のおばあちゃん(子供たちはこう呼んでいる)に、昨夜からの出来事を休むことなく報告していた。
昼食を食べ終わると、だんだん叔母の表情がかげってきた。
叔父さんが亡くなってから20年近く、ずっと一人で暮らしてきた。 年に1度は母が訪れているけど、こんな大勢で食事をしたのは本当に久しぶりだったそうだ。
特に、にぎやかな娘に叔母は癒されているらしい。
叔母に言わせると、良く喋るところが母の子供の頃にそっくりなのだそうだ。 静かな叔母と賑やかな母を足して2で割ると丁度良い!とは亡くなった祖母の口癖だった。 まぁ僕も娘もその血はよく継いでいると思う。
叔母に別れを告げ外に出ると、リウマチの足を引きずって叔母も外まで出てきた。
涙ぐんでいた。
7年前と同じだ。
暖かくなったらもう一度母と一緒に板橋に来よう。
その時は何か叔母の好きな食べ物を、子供達と一緒に作ってあげたいなぁ。