一昨日、母が倒れた。
風邪で具合が悪いと言う訳では無かった。
話を聞いた妻も動転していて詳しいことは聞けなかった。
連絡を受け、定時と同時に大急ぎで帰宅した。
状況が良く分からなかったためか、最悪の事が頭をよぎる中、とにかく自転車を漕いだ。
何も親孝行が出来ていない自分が悔しくてたまらず、涙が止まらなかった。
実家へ駆けつけてみると、かなりの重症だった。
朝から気持ち悪く、食事も取れず、歩くこともままならなかったそうだ。
目を開けるとグルグル回ってしまい、何も食べていなのに吐いてしまう。
必死に僕の顔を見ようと見開いた母の目は、本当に小刻みに回っていた。
目がくぼんでいるが、痛みも無く、難聴でもなく、言語障害も無い。
ただ、一生懸命お茶を飲もうとしていた時、茶碗が傾いている。
素人の僕にもはっきり分かった。
平衡障害だ。
明日も症状がおさまらなければ、入院の必要がある。
1時間ほど母を支えてやり、帰宅後インターネットで調べてみた。
激しいめまいと嘔吐。
このキーワードでヒットしたのは、やはり耳の不具合。
思ったとおり、平衡感覚が完全に失われている。
昨日の昼前、父から連絡が来た。
朝には少しだけ食事もでき、めまいも治まってきた。入院は免れた。
父の口から出た言葉はやはり 『前庭神経炎』 だった。
内耳から脳に平衡感覚を伝える前庭神経に何らかの原因で炎症が起こり、平衡感覚の伝達に異常が生じたのだ。
数日で完全に歩けるように戻るそうだ。
平衡障害が常態となる事は無さそうなので、少しほっとした。
原因としては、ウィルスの侵入か過度のストレスが考えられる。
ストレスに関しては思い当たる節がある。
しかし今の僕にはそのストレスを取り除いてあげることが出来ない。
大学卒業後、直ぐに今の会社に入社していれば、そのストレスを取り除けたかもしれない。
昨夜、息子と一緒に実家へ行った。
息子は 『おばあちゃん、早く元気になってね。』 と言おうと思っていた。
しかし、何とか歩けるようになったとは言え、おばあちゃんの様子を見た息子は何かを感じ取ったらしい。
言葉がうまく出ず、おばあちゃんを見てとにかく困惑しているようだった。
帰り際に父が 『いつまでも居ると思うな、親と金だ。父さんも母さんもそんな年になったんだよ。』 と呟いた。
僕だって今までは、スタートからどれだけきたのだろうと振り返ってきたけど、もうゴールまであと残りどれだけあるんだろう?と思う歳になってしまった。
父さんに 『でもな、父さん、子供と孫はいつまでも居るんだよ。』 と呟いた。
でも、その言葉を言った後、無性に寂しくなってしまった。
高校の時にカマキリ先生に教わった、フランスの詩人ラ・マルティーヌの詩の一節を思い出した。
『我々の一生は死への一連の前奏曲に他ならない』
これに感銘を受け、F・リストは 『レ・プレリュード(前奏曲)』 を書き上げた。
『人間の一生は、その厳粛なる第一音(赤ちゃんの初心音)が、死によって奏でられる未知の歌への一連の前奏曲である。』
高校の頃には漠然としていたこのリストの言葉が、今なら、身に沁みて分かる様な気がする。
第一音が鳴り響いたときから、最後の章節は当然存在しているのだろう。
自分の前奏曲を全力で演奏しなくてはいけない。
時にはフォルテもあり、ピアニッシモだってある。
時にはアレグロから、ラルゴに変わる事だってある。
でも、自分の前奏曲だ。
力一杯最後まで演奏しなくてはいけない。
そして 父さんと母さんの子供である僕は
父さんと母さんの演奏を、出来るだけ助けてあげたいと思う。