先日、高校時代の担任の先生がお亡くなりになりました。
数学の楽しさを教えてくれた恩師です。
本日お休みを頂いて、お別れの会に行ってきました。
校内の合宿所でア〇コールをグビッとやった時には 『 あんたら、ゴミ(証拠)はちゃんと片付けるんだよ!! 』 と的確なアドバイスをいただきました。 いゃ、先生一緒に飲んでんじゃん。
卒業式後(厳密にはまだ高校生)先生のご自宅に全員集まってアル〇ールを頂いたり・・・あの頃は色々と曖昧で良い時代だったんだよな。
久しぶりに会った同級生たちとそんな話に花を咲かせてしまった。
先生に所縁のある書物が展示してありその中に
1年生の文化祭で作った気球に関わる冊子が!!
人こそ乗れなかったけど、大きな気球を作って飛ばしたんだよな。
次の文化祭では、体に泥を塗りたくって縫い合わせた巨大なキャンバスに文字を描く・・・皆で先生の手足持って泥プールに投げ込んだ記憶が。
とにかく生徒と一緒に同じ目線で行動してくれた熱血先生でした。
会場にいた先生のお嬢さんがあの頃の先生にそれはもうそっくりで、30数年前に戻ったような感覚。
実は、カマーズなホルン吹き(5学年後輩)も同じ先生が担任だったので連絡して会場で合流。
僕と話をしている後輩を見て同級生数人は 『 7組の誰だっけ? ダメだ思い出せない ・・・』 思い出そうと必死に記憶を遡っていたそうだ。
思い出せたら逆に心配しちゃうけど。
担任の先生は同じだけど5コ下の後輩だと説明したら安心してくれました。
妻の父も先生と職場が同じ学校だったことが何度かあり、そんな縁で結婚式にもお呼びしました。
その時先生から言われたのが 『 奥様のお父さんとは同志なのよ!! 』 そういう時代の教師だったんだよな、先生。
そして、僕ら以降の吉田高校の諸君。
修学旅行を私服化したのは何を隠そう僕とこの先生なのだ。
『 先生!! 平和記念公園で黙とうを捧げるのに何故学生服じゃなきゃいけないんですか!! 私服だってどんな格好だって心を込めて黙とうを捧げれば、これに優るものなんて無いじゃないですか!! 』
この僕の一言で修学旅行担当の先生の心が動いたのだ。
実は・・・もともと私服の高校なのに修学旅行の時だけ学生服で、結局中学生の時の学生服を着なきゃいけないんだけど、身長伸びたので着れなくなっていたのだ。
そんな必死な思いから出た一言に先生は胸を打たれたそうです。
一昨年亡くなられた師匠カマキリ先生とも仲が良く クラシックを聴きながらワ〇ンを飲む会 を音楽室で定期的にやっていたと。
今の高校ではとても考えられない事ばかりだけど、本当に良い時代に良い先生たちに教わってきたんだなぁ。
師匠や恩師が亡くなるなんて高校生の頃には想像もしていなかったけど、齢を重ねるって受け入れ難いことを受け入れていかなきゃいけない事なのかな、と最近よく思う。
教わってきたことは出来るだけ次の世代に受け継いでいこうと思います。
安平先生、ありがとうございました。
安らかにお眠りください。