夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

死を予見して考え続けたこのひと月について

2021年04月02日 08時32分54秒 | 日記
1. エホバの証人時代の粗雑で幼稚な観念:ー
1) アダムが地球上に創造されてから、【創造の神が休みに入った7000年】がもう尽きている。
2) その時、イエス・キリストの再臨があり【人類が羊と山羊に分類される】。羊が神の王国に生きながら入ることを許される。
・・・ものみの塔を脱退してからも聖書を読んでみて大凡この解釈は当たっいるとて考えていた。

2. 疑念:ー
1) イエス・キリストの再臨の徴を待ち続けていた時にアメリカ大統領選挙不正疑惑がネット上を駆け巡った。
2) これは見えない世界での戦いに敗れて見える世界に落とされた【神に言い逆らう存在】の最後のワル足掻きと考えた。
3) その解釈を確かめる為に、情報、意見を参照した。
・・・結果は当たっていると考えている。

3. うぬぼれ:ー
自分は多分【神の国に残される側だ】と考えていた。

4. 焦燥:ー
1) 或る日突然、男性特有の身体不調に気が着いた。
2) 【恐ろしい宣告】を逃げ回っては居られない苦痛から医師の元に駆け込んだ。
3) そこで【自分のそう遠くない死】を本気で考えた。
・・・では、マタイ伝25章が予告する【人類を分類する作業】はウソだったのか? 或は自分に許されがたい何かがあったのか?

一日中座り、空を眺めながら考えた。そして新しい気着ききに至った。
[1] キリスト教会なる組織の 論法は【神vs人】、神は人を【審判】する存在であってここで【無罪判決】を受ける【技術】を弄んでいる。
これは創世記にある、アブラムが火の中に投げ込まれても生きていたのを見た弟ハランが【兄の手法】を真似て腸まで黒焦げに焼かれてしまったその事例に同じ、【功利的心情、思考】ではないか。
ものみの塔の教理の底にはこの【ずる賢い心情】が横たわっている。
[2] 人間には【二種類の意識】がある。
前頭葉論理脳が守備している【私は〇〇です】と【言語化説明可能な意識】と俗に【虫、肚の虫】と呼ばれる【言語化出来ない意識】がある。 言語化できる意識が【顕在意識】、できない意識が【潜在無意識】。
[3] 【潜在無意識】はどうやら【神】に繋がっている。人は死ぬと脳も死ぬので顕在意識は失われる。しかし潜在無意識は残る。多分言語化出来ない【個性】が残る。その個性は視覚も聴覚もないが無意識領域で感じるものを視覚、聴覚的に捉えるかもしれない。臨死体験とはそういうものであるかもしれない。
[3] 経験から推すと【潜在無意識】が【不安に包まれて】いる人はそれが顕在意識を動かして【その人本来の無意識】が選んでいたであろう人生とは違う、不如意な結果にしかならない選択をする。
・・・賢王ソロモンは【全ての事に時がある】と言った。よく人は『もう少し早く気が着いていれば』と言うが、ソロモン王流に言えば【気着いたその時が最適】、その人が潜在無意識領域で選んでやって来たこの顕在意識世界での【計画された人生】の最適の時。
・・・例えば気が着いた時には末期癌で余命幾ばくもない、であってもその人が選んでいた人生、ある目的を持っている人生の目的達成には最適の時。
[4] 再臨のイエス・キリストが【裁判官】として人類を【合格、不合格】に分別するのではない、【人は自ら自分を分別】している。それはその人の【無意識の言動】が決めている。
[5] これと関連してマタイ伝25章1-13節に【灯の油(即ち信仰)を携えていた乙女達と携えて居なかった乙女達】の喩えがある。確かに、今現在地球上には、【イエス・キリストが戸口に立っているのではないか?】と今か今かと待っている部類の人々と無関心な部類の人々が居るだろう。而して、無関心な部類の人々は【イエス・キリストが戸を開けて入って来た】ことに気が着かないままに時が過ぎゆく、そして気が着いた時には既に遅いと言う事態になっているのかもしれない。

不安と焦燥の大嵐の一夜が明けて不思議と静寂、単なる静寂ではない、心的静寂と外界の静寂が交感しているような静寂がやって来ることがある。・・・事の全体の帰するところを聴くべし、神を畏れそのいましめを守れ、これは全ての人の本分たり。神は全ての行為並びに一切の隠れたる事をよしあし共に裁きたまうなり(伝道の書12-13,14)・・どこかに居る神が私を裁くのではない、潜在無意識が見ているのだ。