夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

こんな世界に生きていても・・・

2017年02月17日 22時28分35秒 | 日記
 先端技術、アニメ、ユルキャラ、清潔な街、正確な交通インフラ、それもよかろう。 でも疲れた。何もかにもがガラスとプラスチックとLEDの明るい電光に照らし出され、詩情と夢の失われた日本になお生きる意味があろうか。

 ほの暗い部屋のそここに密やかな囁き、気配、ぼんやり灯る行燈、そのようなものを排除した今の文明開化など面白くも何ともない。

https://www.youtube.com/watch?v=5BCmJ2NE57U

https://www.youtube.com/watch?v=RVeXO2UU7oY


リュートとギターの違い

2017年02月17日 10時04分42秒 | 日記
 そりゃあ、使われた時代が違う、構造も違う、音楽も違う、違ってあたりまえじゃないか、と言う方面の議論ではない。

 元々はリュート曲をギターに編曲した両方を聴き比べての感想である。有体に言えばギターに軍配を上げる。少ない弦、それも単弦、で迫力はリュートに優る。感銘も大きい。

 リュートと茶の湯は多分同じ精神的な範疇にあるがギターはスターバックスコーヒーの世界じゃないかな? 雨上がりに濡れた歩道、重いガラス戸を開けてふと立ち寄る喫茶店に薫るコーヒー、ほの暗い空間にそこだけ明るいシンビジウムの鉢植え、・・そんな雰囲気。リュートよりも躍動的に感じる。そのくせ印象は暗い。

 リウト・フォルテなる力木から新たに設計された単弦リュートがある。明確できらびやかな音色だが好みでない。陰影に乏しい。怪物モードのテナーカンツォーネ、そんな感じだ。疲れた体、疲れた気分で手に取ってつま弾く、そんな雰囲気はない。

 多くの欠点がありながらもギターが好きなのはそういうわけだ。無論リュートも弾くが・・。

https://www.youtube.com/watch?v=0CDCvlM23fM#t=31.962341

https://www.youtube.com/watch?v=XmUG-hJg9vc

https://www.youtube.com/watch?v=D4qOq9IpUMs


然程に威張れるものでもない

2017年02月17日 09時31分12秒 | 日記
 ユーチューブなどを見て居ると日本にやって来た外国人が次のようなコメントをしている。

1.道路が清潔
2.電車内が静粛清潔
3.列に並ぶ
4.落し物が還って来る
5.人々が親切

昔から概ねそうであったとは思うが異論もある。

日本に汽車が普及した頃は乗客は窓からゴミを投げ捨てていたと聞いた。それは宜しくない、行儀が悪い、とのお上のお達しでゴミは座席の下に捨てるようになったらしい。遊学して田舎と都会を行き来していた頃は客車内はさながらゴミ溜めの様相を呈していた。新聞に、アメリカの兵隊さんがキャラメルを食べてその包み紙をひねって箱に戻すのを見て我々も見習わなければならない、との記事があった。
どうしてゴミ箱を置かないのだろうと不思議に思ったものだ。やがて清掃員が掃除して回るようになったが【国鉄民営化】を境にして画期的に清潔になったと記憶する。
昔は汽車に乗る時、『速く行って席を取れ』と、子供に言う親が居た、結構居た。東京に入学試験に出て。帰りの汽車に乗る時のプラットホームの大混雑は今でも覚えてトラウマになっている。我先に乗ろうと乗車口に殺到した。しかしこれもまた民営化と相前後して解消されたようだ。

これも新聞記事だったが『日本人は屋敷内はキレイに清掃するが公共の道路はほったらかしてキタナイ、考えなければならない事態である』との論評があった。言いたいところは『日本人には公共心がない【それではイケナイ】』と言うことだっただろう。

これらは今振り返れば隔世の感があるが【衣食足りて礼節を識る】なんだろう。しかし私はもう一つ重要な事を指摘しておきたい。・・・どうやら日本と言う国は神霊の導きがあっているようだ。公共心なるものは教育によって涵養できるものではない。