源頼朝が鎌倉幕府を開き、将軍になったのはひとえに彼を担いだ人々の無言の期待・・対朝廷公家勢力利益代表保護者、領地境界争い事の裁定者・・・があったからだ。それをお坊ちゃま育ちの二代、頼家は分らなかった。二人の御家人が土地の境界の裁定を求めて来た時に、『麿にこのような面倒ごとを持ち込むな、エイッこのようにせよ』と線を引いた。『これでは将軍の器ではない』と言うわけで修善寺に幽閉された。
皇室の存在理由は創世記の最終章にちゃんと書いてある。つまりそれは創世の神の取り決めである。故にやがて世界の前面にその存在が知れる神に皇室は言い開きを求められるだろう。しかしまたそれは日本国民が日本の国益の為に皆で担いでいる存在でもある。そこに【私情】は介在出来ないと思う。高貴の【公の人】に生まれた運命と言うものもあろう。【公に殉ずる】、これが今忘れられていないか?
一方で【身に余る】申し越しを受けた場合、少なくとも三度は辞退するのが我々真正日本人の【常識】である。これもまた最近忘れられたようだ。
日本は一度リセットすべきではないか?