随分長く書き込みをしなかった。
ふと、息子への書簡をここに書いてみようと思い立った。
『音楽は現在進行形じゃなくっちゃ』とリュートに拘る僕に君は言った。その頃君はセミプロのトランペッターだった。あれから長い年月が過ぎた。
先日ふとした事について君は言った・・・『何故物事を悪い方にばかりしか考えられないの?、その性格は何とかならないの?・・・例えば 飛行機→事故 ; 転職→失業 ;旅行→災難 なんて何故頭の方程式がそんな風になっているの?』
実際言われて見ると総てについてそうだったのだし今もそうなのだ。人は誰しも将来の不可知の事象について100%安穏とはしないだろう。何がしかの心配と備えはしない方がオカシイ。しかし私の場合はふと心の片隅に芽を出した不安、懸念、心配が度を越しているのだ。
君の兄言うところの不安と心配の石がピラミッドのように積み上がり私を押しつぶしてしまう。実はこういう人を自分以外に二人知って居る。母と母の母だ。彼女らによって私は無菌培養されてお人形さんのようにウツクシイ青年になった。美しい話、立派な教訓、世間には鬼が居るというウワサ、人を睥睨する目、海水浴は水死の危険、ああいう子と付き合ってはいけない、と言う教条、勉強のクセをつけるとの口虐、恋愛は犬や猫の行状などなど・・・貧乏家族のくせに心理の家は大廈高楼だった。
しかし社会は甘くない。刷り込まれた基準より脱落、最底辺にまで落ちないと『生活力』は身につかないのだ。生きる為にそうなった!その代償として私は【長い長い鬱】になった。『自分はダメな人間だ、何ひとつ独力で成し得ない、母が着せたうつくしい衣装は破れて泥まみれになった』
その鬱の症状として古楽に目覚めた。それがリュートだった。
同じ事ばかりやっていると飽きてくる。そこで一台だけ残しておいたギターを引っ張りだして弾いてみた。・・・長いブランクの割りにはイケルじゃない!で、調子に乗って少しずつやり始めた。でも選ぶ曲はどちらかと言えば沈んだ曲ばかり。
それが、ある日偶然ブラジル音楽に遭遇した。ルイス・ボンファの哀愁と情熱、寂寥と歓喜、若き日の恋心の花火、のような曲を弾いてはじけた!いや、鬱が少しずつ遠のいて行くのは感じていたのだが。
そうだ、君言うように感動と情熱を叩きつける、それが溢れる、ような音楽、その対象としての楽器・・・私の場合はモダンギター、私はまたそこに戻ってゆく。