重いケースを引っ張り出してラチェットをパチンパチンと外して蓋を開け、そこに微睡んでいるギターを抱え出すところから練習は始まる。この儀式は大事だ。しかるに最近はセミ・ハードケースとかソフト・ケースとかハードケースであってもご丁寧にカンバスカバーがあってチャックを開けなければならない。このチャックを開けると言う動作がもうやる気を削いでしまう。
ハードケースも個人的には樹脂製以外は好きではない。私は耳の人間であると同時に眼の人間でもある。【視覚的に美しい】のでなければ所有したり触ったり弾いたりしたくない。19世紀ギターや古いスパニッシュギターにはゴテゴテ装飾過剰のものやキモチの悪い造形部品などのついた楽器がある。それがどんなに音がいいと言われても興味は湧かない。悪趣味だと思う。
そういう性格からか、日本人の作るギターを正直あまり見たくない。仏像の頭のよなうな、豚の耳のような、犬の耳のような糸蔵トップの造形・・・こういう造形しか思いつかない人の音だってたかが知れてるよ、と思うのだ。昔のスペインギターには如何にも【ああ、スペイン!】と思わせる造形や配色のギターがあったが最近薄れた。日本の場合はロゼッタデザインなど【下手な工夫なんかスルナ、アイデアがないなら縄模様かヘリンボーンだけの方が余程気が利いている】と言いたくなる。