夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

品と美

2012年11月22日 22時23分44秒 | 日記
 品と美は型の内に在り、型を通じて輝き出す。それを道と呼ぶ。力は道に沿って発揮される。道の行き着く先に徳がある。賢しらに議を言うことは道を踏み外す。そこから出て来るのは混乱と退廃である。

ある高等学校の卒業式の様子を見て上記の事が閃いたので書きとどめる。

日本の政治家の最も不愉快な所業

2012年11月17日 17時20分25秒 | 日記
 与野党問わず敵方の行動なり発言なりを口を極めて貶す品位の無さが大嫌いだ。そのような人々から何かいいものが出て来るとは思えない。
 政治家自ら政治と言う行為の品格を損なっているのだ。大嫌いだ、不愉快だ、軽蔑に値する。例えば将来の日本を心配して何とかならぬか、と小異を捨てて大同に着こうと模索する動きを”野合”と切って捨てる、そこから何か建設的なものが出て来るか?
 政党政治くそくらえ!!そんなもの終わってしまえ。

一日は長く一週間は飛ぶように過ぎる

2012年11月15日 09時17分29秒 | 日記
 これはどうしたことか、三年前から高血圧症の札付きになって月に一度病院に出向き診察を受ける。そして薬を処方してもらう。一ヶ月分の薬だが三年前に比べて最近一ヶ月の経ち方が何となく速い。ところが一日は長く感じる。どうもよくわからない。
 ネット上に沢山ある終末論を見ると終わりに近付くに従って時の流れが速くなると言うがそれだろうか?幸せな一日は長いと言うがそれだろうか?
 自分が”幸せだと思う”、と言ったら多くの人から叱られるように思うが十年ばかり考えて、『人はみな本来幸せなんだ・・・人がどういう存在かを分かりさえすれば・・・』と思うようになった。かつてイエスさんは言った、『あなたがたがこれらのものを必要としていることを天の父はご存知なのです』を真に受けて生きればそうなるのだ。だから別のところで彼は『誰もこの子供達のようでなければ天の王国にははいれません』と言っているではないか。
 ところが真に受けられない、受けられないからエデンでエバは禁断の木の実を食べた、・・・つまり浅知恵に頼った。そこからドミノのように恐れ、心配、四苦八苦、悪あがき、よくない結果、焦燥、殺し合い、環境汚染、などなどのウゾームゾーがゾロゾロ這い出して来た。
 東洋の知恵者はこれを断つために”何事も放てば満つる”と言ったのだ。幸せになりたいとの願いが到底不可能と知ってその思いを放ち、ぼんやりと空を渡る雲を見る、雲の嶺が夕日に輝くをを見て、”美しい”と感動した瞬間、諦めていたものは空間のわずかな隙間を通して垣間見える。
 人間は所詮、”宇宙と呼ばれる思念”の無数の”現象”の一つ、アブクのようなものに過ぎない。個々に”個の意識を持っている”との思いや確信は”幻想”に過ぎない、もっと言えばその現象を生ぜしめた宇宙に対する僭越思考、例えればエサをもらう猫が我こそはこの家の主と思い込むのに似ている。
 苦痛の人生であればそれは宇宙がそれを体験してさらなる生成の糧にするために仕組んだものである。こう考えれば順風満帆の人生が望ましいものではあっても閻魔大王にさして喜ばれない手土産と言うことになろう。閻魔大王が喜ぶのは”不幸にして私はこういう不如意な人生を歩むことになったが、でも懸命に生き、こういう結論になった”と言う自分自身の姿を以ての報告であろう。・・・なんだかヘンな方向にずれたなあ、
 昨年、”地球に近付く巨大宇宙船”と言うのをネットで読んだ、見た。”今、冥王星の近くを航行中”ともあった。今年の12月中旬に地球に接近などとの解説もあったが、それにしては遅い、もう11月中旬だからそろそろ”アレハナンジャ?!”と新聞紙上やテレビ報道で騒ぎ出していいのではないか?

日本の分岐点

2012年11月15日 08時56分18秒 | 日記
 今度の選挙こそ日本人が下衆に成り下がるか本来の姿を取り戻すかの分岐点だろう。個人の安寧を第一にするなら下衆になり下がるだろう。先祖から受け継いだ美学を採るならば世界の指導者になるだろう。”日本人と呼ばれたい”、”日本人になりたい”と言う人々が出て来るだろう。どの民族でも心の底には”美しく在りたい”との願いがある筈なのだ。それを体現しているのが、して来たのが日本人であった。

公・・・おおやけ

2012年11月15日 08時20分17秒 | 日記
 ルバング島から帰還した小野田寛郎氏が空港で話された言葉に『公(おおやけ)の事柄』と言う一節があった。長く忘れられていた言葉である。
 しかし、歴史を振り返れば、いつの時代も日本人は官民あげて『おおやけ』を最重要にして生きた。そこから明治以降、敗戦後の発展、そして現在がある。世界が賞賛する節度も美も、その根底に一般大衆の『公』を大事にする思いがある。煎じ詰めれば日本人は『個』ではなく『公』に生きた。その過程でにじみ出る『美』を自分の美学として生きてきた。最たるものは神風特別攻撃であろうか。知覧の記念館に行って涙する、或いは子供が生長した時、そこの連れて行く父親も居る。結局『己を虚しくして公に尽くす』ことを美とする心が日本人の中に生きているのだ。
 しかしこれを強要するとそこからいびつな精神が生まれる。おそらくこの”羹に懲りてナマスを吹いて喰う”愚劣に陥ったのが戦後教育であろう。
・・・そしてその最も下らない結果が”国民の生活が第一”と言うキャッチフレーズであろう。情けないことにこれにまんまと引っかかったバカ国民が多数居た。衆議院が解散になった。次の選挙で私は北海道、岩手の民度をじっと見ていよう。なんとかガールズやなんとかチルドレン、がまた国政に出るようになるのか、大局を見ず小不満を論うどこかの国に似た論調に賛同するものが多いか否か・・・などを見よう。