夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

中・韓への人材流出

2013年01月24日 22時34分43秒 | 日記
と言う見出しを今見て気分が悪くなった。 『技術は国防である』という事が解っていない。高額の給料が欲しいか?名誉みたいなものが欲しいか?
 技術は国防、新幹線は戦闘機の技術者が、船は無論造艦技術者、わけても溶接技術者の貢献が大きかった。外国に行って、行った人間はチヤホヤされるかもしれないがその技術が日本を苦しめる。

鳩山さん、今こそあなたの出番じゃないのか?

2013年01月23日 16時49分57秒 | 日記
 殺身成仁
 正義の主張のためには、利害だけではなく、生死ををも越えるべきだとして「殺身成仁」を説いた。「身を殺して仁を成す」という意味の言葉は、もともとは孔子の言葉である。陽明は、「誠」や「仁」(友愛、道義、正義)が、生死の問題よりも優先すると説いた。「殺身成仁」的境地とは、言い換えれば、死への恐怖を克服し、「不動心」を確立した境地のことである。「万物一体の仁」の境地のことである。
 これは『陽明学』の説明から拾った。あなたが本気で地上平和の為に『友愛』と言うなら、イランのような国家の体を成していて安全なところではなく、最近大事件が起こったようなもっと困難な場所に『友愛』を説きに行くべきではないかな?
 日本が台湾を統治し始めた時、諸外国は日本人があの猖獗の地をどう治めるか見ものだ、と考えたらしい。何でも清王朝はそこを流罪の島としていたらしい。風土病もあったしアヘンの害もあった、つまり無法地帯だったらしい。
 派遣された日本の役人はその無法地帯の無法者の中に丸腰で談判に出向いたそうだ。そこから台湾の再生が始まったと台湾生まれの私は聞いた。山岳原住民に『首狩り』をやめさせようと自ら犠牲になった人も居た。
  言葉だけの『友愛』あるいは『日本列島は日本人だけのものではない』などとの言辞を弄して、俺を、俺の息子たちを、俺の妻を、俺の兄弟たちを、俺の町内の人々を、俺の住む都市の人々を、俺の国の国民を、自分の『理想のいけにえ』にしないでくれ、俺は不愉快だ。政権奪取などと言って、やったことは実質”日本国家転覆模擬演習”じゃなかったのかな??俺は猜疑心が強いからその印象を捨ててはいない。あちこち行って我が国、我が国民を貶めるな。
 アメリカがイラク攻撃に踏み切る前に、『友愛』を実践しにイラクに留まった若い女の人が居たぜ!行為はともかくその覚悟は立派だ。あなたはそれに劣る。恥を知れ!!

 自分のやっていることが解っていないのは男ではない。


伊勢神宮に祀られているのは? 新しい国家?

2013年01月23日 12時12分57秒 | 日記
 ある筋の話では聖書でヤハヴェと言われる神がそこに祀られているとのこと。またある神社のご祭神がヤハヴェと言う神であると、当の宮司が言う例もあるようだ。殆どの人はこの方面には全く無関心だがこの論議はそれほどマイナーなものでもない。無論キリスト教由来西欧啓蒙思想科学万能実証不可欠宗教信者にはゴミに等しい論議ではある。
 ある人がネット上ブログに日本は逆説の国と書いておられる。つまり災い転じて福となった事例が多い、と言うわけである。そこで自分でも考えてみた。
 天智天皇の時代に白村江の戦いというものがあった。百済と倭国の連合軍が新羅と唐の連合軍に敗北した戦いである。敗戦後、倭国は大慌てで都を移したり防人を九州に派遣したりして防備を固めた。つまり侵攻されるおそれがあった。だが、それはなかった。しかしこれを契機として倭国は日本になったようだ。下記はウィキペディアからの抜粋である。
 ”以上のように、白村江の敗戦は倭国内部の危機感を醸成し、日本という新しい国家の建設をもたらしたと考えられている。”・・・災い転じて福となった。
 鎌倉幕府執権北条時宗の時、元寇があった。”やあやあ我こそは・・・”と言う戦いの仕方が全く通用しない戦法に散々やられた。が、翌朝出て見ると敵がいない。二度目は玄界灘の春嵐で敵は壊滅、首の皮一枚で何とか日本は生きながらえた。
 幕末、日本にやってきた欧米人は”他のアジア人とは違う”との印象で日本を植民地にすることを、多分忘れたかどうか・・・?そのスキが無かったのだろう。戊辰戦争などの内乱状態に英仏がつけ入らなかったのが不思議だ。
 太平洋戦争敗戦後につては皆さん知っている。
 
 これら全てに”人間智の方程式は当てはまらない”・・・つまり”奇跡”。 今、日本人は謙遜を思い出す時である。”こう言ったことは自分たちの力では成し遂げ得なかった、伊勢神宮、またそこここに降りている神霊の力ではなかったか?”と考えてみること、それが謙遜である。そこからまた次の奇跡が始まる。・・・と言って、では寝ていて果報を待てばいい、と言うのではない。渾身の努力があって初めて奇跡は『予定されて』いる、人生も然り。
 懸命に勉強したのに志望の大学、高校受験に失敗した。では破滅か?と言うとそうではない。懸命の努力を条件にして”本当の進路”に転轍機が動いたのだ。
 経済が落ち込み国際競争力が衰退し、人々は貧乏になり、かつて大真面目に協力を惜しまなかった国々から小馬鹿にされ、地震、津波、豪雨で惨憺たる被害に会い、愚かにも民主党の政権奪取なる亡国売国国家転覆模擬演習に手を貸し、国民の心情としては地を這いずり回る、ある神社のご神託では三分と少々・・・大本神諭だったか日月神示だったかでまさに予言された通りの状況に陥り、かろうじて終末の大峠を越えたかに見える今、国民総出でなすべきことは、この国の神に対する傲慢、例えば神無きが如き言動、お互いに対する傲慢、例えば大企業の下請けいじめ、企業の個人尊厳足蹴行動、等を深く反省して”宣り直し”を行なうべき時ではないか??

 尖閣、竹島問題がくすぶる今、私は第二の白村江に日本は直面しているのではないか?と考えている。いつの時代も平安の時には日本人はだらけている。江戸時代を見るがいい、東海道中膝栗毛を、浮世床を読んでみればいい、危機感全くなしの平和ボケだから。しかし危機感を持った時の瞬発力持久力は大きいと思う。今がその時だと思う。そして多分、次世代の日本は今までと全く違ったものになっているように思う。

 現在の状況は日本人の危機感を醸成し、新しい国家の建設をもたらすかもしれない。この”新しい国家”こそが黙示録に言う”女は男子を産んだ・・”のその『男子』ではないのか?マンデン占星術によれば太平洋戦争後の日本は”女”であった。それが産んだ子は無論その後継者であり今度は”男”である。黙示録は言う、”それは龍に食われないように天に上げられた”と。つまり”見えない”、時が来るまで隠される。

こいつもついに焼きが回ったか!の記事その2

2013年01月22日 19時48分34秒 | 日記
 アルジェリアで不慮の死に遭遇なさったエンジニアの方々の報道を聞いたが、二人の息子とおそらくは同世代、と思って悲しみと立腹で居ても立ってもいられない気持ちだ。そしてもう片方で尖閣問題、竹島問題が血圧を上げている。
 これらの事件について脳裡をある記事が駆け巡っている。多分99.9999%の人が”荒唐無稽、こじつけ”と断じるであろう。それはそれでいい、しかしやはり私と同類の”詮索癖”のある人、つまりは変人は”そういう見方無きにしも非ず”と思うであろうから書いておこう。
 聖書の黙示録12章に”日を着て月に乗る女が子を産もうとしてその苦しみに泣き叫んでいる”、”女は男子を産んだ、その男子は諸国民を鉄の杖で牧するものである”、”女には鷲の翼が与えられて龍の前から逃れた”、”龍は己が地に落とされた事を知り女の残された者たちを攻めようと海の砂の上に立った”、等の記事が見える。
 私はこの”女”が三日月型の国土に拠って日章旗を象徴にしている日本だと考えている。傍証は敢えて書くまい、書くと際限がない。
 考えても見よ、日本が最も力を入れてその興隆に寄与した国々はどこであったか?そこから足払いを食わされたり唾をかけられたりしているのだ。だが、多分”鷲の翼”は実質的な働きをするだろう。しかし”女の残りのもの、即ち神の戒めを守り・・・”の人々には思わぬ危害が及ぶかもしれない。
 日本人は地球上の誰をもアテにしてはならない。日本と言う国、日本人と言う民族があっては”自らの死、魂魄の消滅までの処置が予見される存在”が日本人以外のあらゆるものを総動員して日本を消滅させようとしている。
 神の戒めを守り・・・とは別にアーメンと言ってみたり十字を切るなどと言ったことをするのではない、東日本大災害に際して人々が示した自制、利他、感謝、秩序こそ神の戒めにほかならない。

こいつもついに焼きが回ったか!?の記事その1

2013年01月22日 19時12分02秒 | 日記
 これは”その2”の準備。99.9999%の人は今から書くことをアホ×バカと思って見る。それに漏れた”変人”が”そういう考え方もあるな!”と思って見る。
 我が家は40年以上も前に建てた。入居して次の日曜日に近くの山に行って雑木を引き抜いて来て植えた。長年の間に邪魔になったり枯れたりして一つを残して全てなくなった。その残った一本が実生の椎の木で今や直径60センチ近い巨木である。息子たちが小さい頃は枝にブランコを掛けたり、少し大きくなったら上ったりして遊んだ。
 極めて生命力が強く、ほうっておくと屋根の上まで枝を伸ばすので気をつけて切り落としていたのであるが十年前、太枝を伐った時、まことに滑稽ながら、その枝に足をやられて骨折した。
 さて、昨年11月半ばに上の方の枝葉が蔭を作って庭が暗い、他の木が伸びない、という訳ではしごを掛けて一網打尽、丸坊主にした。次の日曜日、息子のところに祝い事に行っていい気分に酔って帰ったのだが・・・・
 翌日コンピュータの前に半日座って図面を描いて一段落、立とうとして右腰から脚にかけて激痛で立てない。以後、年末まで夜中は疼く、昼は歩行困難で惨憺たる有様で温泉に入ってみたりするが全く和らぐ様子がない。高校同窓の整形外科医師から”そんなもの我慢しても何の自慢にもならん、さっさと医師に見せろ”とアドバイスを受けたのだが”少々心にひっかかることがあって”様子見をしていた。
 ”ひっかかる”とは以前ある神道系宗教で読んだ”木霊の祟り”である。謂わば屋敷の主みたいな木だが、或いは何か霊がついていたかな?と考えたわけである。・・・そーら、皆さん眉に唾つけはじめたぜ!・・・。
 12月29日は手洗い、洗面所、風呂場、キッチン、玄関の掃除をした。まあ、これとて人によってはアホじゃなかろうか、と言うのかもしれないが私はこのようなところに神さんが降りて来られる、と思うので家の主である自分がする仕事だと思っている。痛い脚を引きずりながらやった、疲れた、それで30日はクタバッテぶらぶらしていた。
 31日は町内の産土の神を祀る神社に一年のお礼を言いに行った。脚は痛いがこれだけはやっておかなければならない、と妻に途中まで車で送ってもらってソロソロ歩いて行った。貧者の一灯、金一封をお賽銭箱にそっと入れて一年無病息災家族も無事であったことのお礼を言い、日本国の弥栄を祈念した。そして・・・
 元日にオヤッ!と思った。確か脚が痛かったはずだがなあ、・・・何と神社から胸付き八丁のかなりの急坂をかなりの距離、歩いて帰宅したのに脚のことを忘れていた。以来、今日までまるでかき消すように痛みが消えている。
 フィジカルなものであれば前駆症状や後遺症状があるのが普通であるが突然起こって突然消えた、いかにもおかしい!!それで、今は、もうこの木を手荒には扱うまい、あの神社には確かに神霊が降臨なさっていると考えるようになった。私はアホンダラかな??