人類自治の世が強制終了させられて神治の時代が始まるのは何時頃だろうか?と言う疑問には二つの予測手段がある。
ひとつは黙示録の4人の騎士の登場、もうひとつは神の安息の時つまり第7日の終了である。
第7日の終了について最近Oh!と思うものを見た。Youtubeに Agafia と言う女性の記事がある。どうやら彼女の親の時代にギリシャ正教の狂気の司祭か何か指導者のような者から集団で逃れてロシアの奥地、タイガと呼ばれる地方ではないかな?、そこで密かに暮らした人々の最後の生き残りのような人のようだが、彼女が書簡を書く場面があった。そこで彼女が記す・・アダム以来7522年!
まあ、途中ノアの洪水があったりしたので正確な記録は失われたのかもしれないが、ともあれ【神が安息に入った、つまり何もしない】日はもう終わった。今は既にこの地球社会に見えない様で手を下し始めているのかもしれない。・・・だってそうだろ、ゴミ屋敷、孤独死の後始末をするには先ずもってその家の中に入らなければ事は始まらない。始末をする人が家に入ったとしても目視点検、調査、分別、工事、かれこれ結構な手間と時間がかかる。
主イエス・キリストが再臨して栄光の座について、我々は分別されつつあるのかもしれない。地上に残してよいモノと廃棄するモノとに!
黙示録の騎士についてはこうである。
6:1 羔羊その七つの封印の一つを解き給ひし時、われ見しに、四つの活物の一つが雷霆のごとき聲して『來れ』と言ふを聞けり。
6:2 また見しに、視よ、白き馬あり、之に乘るもの弓を持ち、かつ冠冕を與へられ、勝ちて復勝たんとて出でゆけり。
6:3 第二の封印を解き給ひたれば、第二の活物の『來れ』と言ふを聞けり。
6:4 かくて赤き馬いで來り、これに乘るもの地より平和を奪ひ取ることと、人をして互に殺さしむる事とを許され、また大なる劍を與へられたり。
6:5 第三の封印を解き給ひたれば、第三の活物の『來れ』と言ふを聞けり。われ見しに、視よ、黒き馬あり、之に乘るもの手に權衝を持てり。
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6:6 かくてわれ四つの活物の間より出づるごとき聲を聞けり。曰く『小麥五合は一デナリ、大麥一升五合は一デナリなり、油と葡萄酒とを害ふな』
6:7 第四の封印を解き給ひたれば、第四の活物の『來れ』と言ふを聞けり。
6:8 われ見しに、視よ、青ざめたる馬あり、之に乘る者の名を死といひ、陰府これに隨ふ。かれらは地の四分の一を支配し、劍と饑饉と死と地の獸とをもて人を殺すことを許されたり。
この騎士たちの登場を示す事件が人類がそれまで経験しなかった事態、世界大戦だと言うものみの塔聖書冊子協会の意見はその通りだと思う。実際我々が見て居る世界は例えば”『小麥五合は一デナリ、大麥一升五合は一デナリなり、油と葡萄酒とを害ふな』 ”と言われる通り、多くの人々にとって必需品が欠乏する一方で贅沢品が溢れている、つまり貧富の差の拡大は留まるところを知らない。さらに世界大戦の他に各地で様々なテロ、事故、環境汚染等が起こり”青ざめたる馬に乗る【死】”の時代でもある。マタイ伝は言う、
24:29 これらの日の患難ののち直ちに日は暗く、月は光を發たず、星は空より隕ち、天の萬象ふるひ動かん。
24:30 そのとき人の子の兆、天に現れん。そのとき地上の諸族みな嘆き、かつ人の子の能力と大なる榮光とをもて、天の雲に乘り來るを見ん。
24:31 また彼は使たちを大なるラッパの聲とともに遣さん。使たちは天の此の極より彼の極まで、四方より選民を集めん。
24:32 無花果の樹よりの譬をまなべ、その枝すでに柔かくなりて葉芽ぐめば、夏の近きを知る。
24:33 かくのごとく汝らも此等のすべての事を見ば、人の子すでに近づきて門邊に到るを知れ。
24:34 誠に汝らに告ぐ、これらの事ことごとく成るまで、今の代は過ぎ往くまじ。
24:35 天地は過ぎゆかん、されど我が言は過ぎ往くことなし。
宗教に名を借りたテロ、拝金による地球の破壊汚染、子供達の犠牲、いつ核爆弾を使ってもおかしくない状況、・・・もう人間の知恵で処置できる限界を越えているのではないか? 黙示録に描かれた前兆の全てをもう見て居るのではないか?