夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

時間の概念

2012年12月30日 22時17分59秒 | 日記
 ”人間とは縦横高さの三次元空間に生き、時間とともに自己を成長変化させる4次元の存在である”とは高等学校の生物学の時間に先生が語られたことである。先生はまた、母親について諭された。”女は産み育てると言う多難な役割を与えられ、従って人間に付与される能力の大きな部分がそちらに配分されている。故に君らが長じて自分の母親のある方面の不足や未熟に気がついてもそれを侮ってはならない”・・・。どーだ、こんな深遠且つ花も実もある講義を出来る先生なんてざらには居ないぞ。
 経験によってシナプス結合が強化されたり伸張することは犬やネコ、霊長類にあるかもしれない。しかしそれは単なる反射行動のための記憶ではあっても蓄積して新たな行動様式を編み出す記憶ではない。もし動物がそう言った能力を持っているならばいつか蹴飛ばされたネコは次に魚を盗む時に少し”経験によって計画的”に行動するはずである。結局、経験が蓄積され、そこから新たな行動様式を編み出す生き物は人間しかいない。ここに時間の概念が介在する。他は時間の概念を持たない三次元の生き物である。
 時間軸上に無い記憶の想起様式とは・・・多分先生仰った”犬の記憶・・・帰宅したあなたを見て”あ、じゃったじゃった、んだげんジロどんじゃった(ああ、そうだった、うちの次郎さんだった!)”と”思い出す記憶”だろう。当の犬はあなたが不在の間、あなたを覚えていない、知らない、飼い主と言う概念もない。
 もし人間の記憶がこの犬同様に”時間というタグがついていない記憶”であれば”事態に遭遇するまで引き出せない”、よって計画しての行動は有り得ない。この”時間の概念”がエデンにあったと言われている”知恵の樹”、知恵と言う実が成る樹だと私は考えている。
 時間の概念さえなければ四苦八苦、煩悩などというものは一切ない。人は”瞬間””刹那”にしか生きない三次元の存在となる。偶然に遭遇するかもしれない災害や事故などの概念も起こらない、”苦”とは何か?”痛みとはどういうものか?”さえも知らない、あるのは刻々遭遇する事態でしかない。
 しかしそれでは”地を従わせる”ことは出来なかった。人間を地球の管理者にしたからには想起し、推論し、計画し、実行し、検証し、経験を資料化する能力、一言で言えば管理能力が、別の言い方をすれば時間の概念を付与することが必要であった、それがエデンに”知恵の樹”があった、と言うことの意味である。しかしその実を食べることはその能力を地を治める目的ではなく、自分自身を治める為に使うことになり、既に準備されている”万全”を拒否し、それから離れることにしかならなかった。
 つまり人は『神』から離れた、別次元に移行した。だから人類は今『神』を見ない、見えない、次元が違うから。人は自分自身の生存に関しては三次元の生きものであるほうが幸せだった。それが東洋で言う”放下”であり”無一物中無尽蔵”、また”笑う門には福来る”の”計らわない生き方”となる。
 しかし、このように書いてみてもう少し詰めが足らないような気もする。ただ、すずめのように生き、ユリの花のように咲く、ならば実は”幸せ”と言う実感も、・・概念そのものが・・ないのではないか?私は楽器を演奏する、絵を描くのが趣味だが”ただ生きるだけ”からそういうものは生まれない、そしたら”人間”の存在意義がないではないか?と思う。

民主党凋落、というはなしについて

2012年12月30日 16時46分07秒 | 日記
 私は職業柄、徹頭徹尾現場主義の実務家だから美辞麗句が基本的に嫌いである。故に、根強い自民党支持者であり三年前の選挙でも自民党に投票した。
 今回民主党は敗北した。その理由について、”期待はずれ”だったからと言うのが多くの意見らしい。私はそうは思わない。失望でも期待はずれでもない、”謀ったな!”との怒りがあったのではないか、と思う。そして、さらに、政権を選んでいるのは見える国民だけではない、と言うのが持論である。日本国の国民の、血統の、内に潜む無意識の集合体、有体に言えば神さん、であるが、そのお方も見ている。
 こいつらにさせておいたら国を狼藉者共に明け渡す、との印象を持ってこの政権のまとまりを破壊、散らしてしまった、のではないか??

門外漢が聖書を宇宙から眺めると

2012年12月30日 15時34分48秒 | 日記
 イヤアな思いを抱きながら20数年もエホバの証人を不真面目にやっていたのだからある意味真っ黒になっているものよりも悪質だったのかもしれない。しかしもう相当に遠ざかってしまった今、遠望するに、万にひとつの可能性で、或いは、自分は意図してそこにしばし滞在した、して、あるものを拾い集めた、と言えるのかもしれない。
 あるものを拾い集めた、とは既成キリスト教なる”洗脳と魔法”の埒外にあって聖書を読んだ、そこから先入観なしの知識めいたものを得た、と言うことになるのかもしれない。
 単刀直入に言えば、聖書とは・・所謂”神様”ではない、単に『神、英語で言えばザ・ゴッド』、表現を自分なりに換えれば”宇宙に充満するその念”なるものの初期状態とそこに割り込んだ攪乱との二つの因子による状態方程式であるとも言える。
 そしてそれがどのように収束するかが描かれている、つまり発散しないのである。という事は攪乱が何がしかの要素として取り込まれたにしろ初期平衡状態に戻る、科学の世界ではよく見ているではないか!
 その戻り方が3種類書かれているように見える。
1.このブログの初めのほうのどこかに書いた、”バビロンのネブカドネザル王の夢とその解釈”・・・つまり状態方程式を地上覇権勢力の推移という形で書いてある。現在はその足・・・脚ではなくて”足の時代”(思うに片足はローマ帝国→西ローマ帝国→神聖ローマ帝国を経て西欧諸国、もう片足はローマ帝国→東ローマ帝国→ビザンチン帝国→ロマノフ王朝→ソビエト連邦を経て現在のロシア)、その時代で”人間の人間による人間のための統治”が終わる。
2.同じくブログの初めの方に書いた、地上の統治を成り立たせている車の両輪、統治機構とそれと密接不可分な経済機構、これを野獣とそれに乗る娼婦で表現し、野獣が娼婦を喰らい尽くす・・・つまり統治機構が経済そのものを破壊してしまうまでに世界は窮状に到り、”人間の人間による人間のための統治”が終わる。
3.これもどこかに書いた、宇宙の初期概念を留保している民族があり、それをマゴグのゴグなる勢力が最初の攪乱介入存在を代弁して攻撃、破壊の行動を起こし、人類史の初期に忘れ去られ捨て去られた”宇宙に充満するその念”の実在がその実力行使を経て驚天動地茫然自失のうちに想起され、”人間の人間による人間のための統治”が終わる。
 これがどの順番で起こるのか、或いは相互作用的に同時進行するのかわからない。しかし欧州債務不安、アメリカの財政の崖、日本のデフレ、中・韓の大陸棚伸延、島嶼領有問題等々、いつ弾けてもおかしくないではないか?且つ連鎖反応収拾不可能な事態に発展するのではないか?
 ところで”宇宙の初期概念を留保している民族”として”イスラエル”名があり、現在中東にその名を持つ国がある。しかし、終末に関わる聖書の記述とこの国の行動、状況は全く同調しない。全く異なる民族、国としか言いようがない。そして、世界中を探して、”これではないか!?”と考えられるのが日本人である。
 以下は邪推である。もし、そうなら日本人は今から”洗濯”される。有無を言わさず『神』の秤にかけられ量られ、選別されるか洗濯されるかどちらかになる。自分流の極楽の論理に酔いしれてタワケた空論を吹聴する時代は終わった。最早横着は許されない・・・”聖霊に言い逆らうものが誰であってもそのものは許されない”と聖書は言う、つまり魂魄の魄を剥ぎ取られて、さらに魂まで消滅させられる、のではないか???

ジコチュー、アマエ人間の吹き溜まり、エホバの証人

2012年12月30日 14時49分15秒 | 日記
 甘やかされて育ち、甘えて生きられないこの世に・・・己を何とか合わせようとの理性を拒否して・・・西暦何年ハルマゲドン勃発地上ユートピア到来なるウソにまんまと騙されて自分だけ愚かに生きるはまだしも、将来ある子供を・・その幼稚な子離れ困難依存心の故に・・・巻き込み、・・・見たことあるかい、子供はゾンビになる、ガラス玉のような目になって爬虫類のような冷たい手をニョロリと握手に差し出す、握ってみると骸骨のように弱弱しく力がない・・・、ダンナを追い出し、家庭崩壊を招き、それでも止めない強情幼稚女、それにかつてのアダムよろしく、間違いと解っていて引きずられて入信、死人の顔をして死んだように伝道戸別訪問をする男・・・通りすがりの人々から”子供イジメのエホバの証人”と言われてすごすごと歩きつつ一方でそこかしこにタムロして世間の悪口を言い、・・”ヤギのワッペンをやらなきゃ”、なんて・・・心の中では、世間並に人並みの楽しみを得られない、子供達に得させられない思いに忸怩とし、さりとて思い切って正月なりの楽しみをした挙句に”罪悪感”に苛まれ、心が千々に引き裂かれ、かつて仲間であった私みたいのが”こんにちわ”と挨拶すれば・・・見え見えだぞ・・・、人倫の道と聖書冊子協会の緊縛に悶えて顔半分笑って横を向く・・・あわれだねえ!
 こうしてものみの塔聖書冊子協会なるものはアメリカ仕込みの”何でも言葉にし”、”自ら発案の正義のモノサシを以って世界中の物事にケチをつける”所業を通じて信者の人格を腐敗堕落させ、その陰湿な精神波動を自らに取り込んで自らの波動を増幅、つまり言い方を換えれば”人を食べて”肥え肥る。
 つまり全ては波動である。歴史上、殺戮のあった場所にはそれを好む、エサにする波動存在がある。あって人間の苦悩苦痛嘆きなどの否定的感情波動を自己の増幅に取り込む、つまり食べる。だから特定の地域で戦争や暴力、争いが絶えない、エサを作るのだ。

よみ人知らず

2012年12月30日 14時09分14秒 | 日記
○現場の実状を理解せずに、上から言われたことをそのまま下に言う管理職、
よくいない?

○仕事を投げるだけ投げてさっさと帰る上司
帰るのは別に構わないけど、帰る前に部下んとこ行って、「こいつは無理してないだろうか?」みたいな、気配りや「わからないとこはないか?」とか「大変だろうけど、よろしく」
そんな言葉が一つでもあれば、・・・・

○人はパンだけのために生きるにあらず・・・
国民からであれ上司からであれ、本当に必要とされ感謝されてる実感が感じられれば、・・・
俺は、個人的な夢と違っても、働ける。
そんな上司ならたとえ無能であっても、「この人のために働こう」と思うだろう、全力で支えようとするだろう。
俺は単純なんさ、仕事はそんなもんじゃない?俺は甘いのかな?

○ただ一つ言えるのは、・・・能力よりもむしろ部下に、「この人のために働きたい」と思われることのほうが、ずっと大事だよね。

長々失礼、コメント不要、おやすみ。

 ああ君も、僕の40年の同じ思いをしなければならないのか・・・君は甘いのじゃない、それが『人』と言うもの、人は元々そのように『創られて』いるのだ。僕も就職して、命令と小言と文句と非難は浴びたけれど労われたことは一度もなかった、・・・いや、一度だけあった、徹夜で図面を描いた翌朝、下請けの女子社員が熱いコーヒーを入れてきて呉れたっけ、あとにもさきにもそれだけ。
 司馬遼太郎さんが言っていた、”私は日本の風土は大好きだけれど日本人の作る『組織』は大嫌いだ”と。まさにこういうことを言っているのだろう。面白半分モテアソビ人事やイジメ出張も経験した。ことさら名指して”あいつを今夜の夜行に乗せろ”などと、傲慢な上司だと思わないか?そんなのが居たから会社潰れたのさ。いろいろあったがもう想い出したくない、心に負った傷にもう触りたくない、生きるためには仕方もなかったと思うことにしている。
 でも、こうして支えて来た、そして君が、同じ思いをしている、どこかに必ず居る仲間と懸命に支えようとしているこの日本とは何だろうな? 在りもせぬ天国の論理を振りかざして夢を貪り空論を吹聴し、世界が自分を中心に回わらなければならないとの幻想を抱き、被害妄想で凍りついている小日本人卑賤国民、クタバリヤガレ!!