自分で言うのもどうかと思うのだが私は怠け者なんだ。だからだれかに火を点けられないと書かなくなる。まあ、一所懸命に書いたところで大した値打ちなどないよ、と内心思っているから。
大体、これを書き始めた動機が、嘗てイエスさんと言う人が言ったという『すずめ一羽と雖も神の許し無しには地に落ちない』とはどういうことか? また、私の父が私の為に名前をパクった高橋是清と言う人・・・ああ、何と思慮の無い幼稚な父であったことか、よく字面を見ない限り混同される名前によって人から暗に揶揄される、されるが故におずおずと生きなければならなかったクソ人生が忌々しい!
えーと、何だっけ、そーだ、その高橋是清と言うお方が貧窮に落ち込んだ時に上記、イエスさんの言葉を力に生きた、と言う話をどこかで読んでいたので同じく生活の不安に苛まれる自分もそれを支えに何とか生きなければならないと思った次第だ。
で、この深遠な言葉の裏に在ってそれを支えている真理とは何か?に興味を持ったのだ。そして時々の閃きを忘れぬように書いておこうと思ったわけだ。それがだんだんエスカレートして、聖書はどうやら日本人に向かって書かれているようだ!と言うわけでそちらのほうも覚えを書き始めた。
しかし、日本人自身が『聖書?!何じゃそれは?それが我々に何の関係があるか!あんなものはヤソ教のタワゴトだよ!』と思っているから何を書いてもあまりインパクトはない。
実を言うと・・・当の日本人がそんな風に思っているのだから地上世界救済の切り札民族を東洋の島々に隠匿した神さんの目論見は大成功だったのだ。
黙示録12章に【日を着て月に乗る女、その頭には12の星の冠、その女が産みの苦しみを経てついに男子を産んだ、その男子は諸国民を鉄の杖で牧する】と言う記事がある。その男子とは何だろう?と考え続けていたが今朝がた夢うつつ、寝ぼけながらふと、もしかして日本国の新しい憲法じゃないかな?と閃いた。
なまけ癖ゆえに積極的にはなにもせずニュースUSやユーチューブを眺めている。眺め続けていると情報の海の中にうすぼんやりと大きな魚が見えてくる。・・世界中のミーチャンハーチャンが食べたくてたまらない魚、それはザ・日本、日本文化、伝統、人の在り方、生き方だ!
それで度々日本来たり住んで見たりしている。おそらくこの思いは嵩じて『自分たちもそうなりたい』になるだろう。『だから何が秘訣か真髄か教えて欲しい、知りたい!』になるだろう。その時、『ここに我々が新しい世界の為に作った憲法があるよ、とりあえずこれでカタチを憶えたら如何?』になるんじゃないかな?