家電、パソコンなど廃棄がややこしい物をまとめて処分した。『そろそろ集荷に来るかもな、外に出して準備して置こう』と思って玄関に行ったら何やら人影がある。開けてみたら丁度その時、集荷係りの人が来たばかりだった。・・・深く考えない、何の気なしにやることがまさにドンピシャで当たる事がよくある。
財布を開けたらまさに必要な額の小銭がまるで準備したかのようにあった、とか言うことも度々ある。奇妙な事もあるもんだ、と考えていたら【人生の岐路】とも言える重要な決断をした時は【誰にも相談しなかった、あまり深く考えなかった】事を思い出した。五回、転職したがそのいずれも【はずみでやっちゃった】と言うと非常に無責任無鉄砲のようだが事実そうだった。
その内一回は事務の女子社員に、『もうこれは要らないから』と作業服を返却してもらったこともある。無論その時、会社を辞めるなんて誰にも言っていない。
『【俺】と【考える自分】はホントの自分だろうか?』と思う。そうじゃないんじゃなかろうか?もう一人【何もかも知っている自分】が居るのではなかろうか?
姻戚のある女性、久々に帰省して親孝行に実家をきれいに掃除、整頓して都会に戻った。数か月後、交通事故で突然他界した。
親戚のある男性、これも偶々帰省した時両親に墓や仏壇を整えなければ、と言う話をした。間もなくポックリ病で亡くなった。
さて、何を言いたいのか??・・・
この十年余り、世界と日本の行く末が非常に気になっていた。このまま行けば世界は大混乱、日本は無くなるかもしれないと。それで指針になりそうな記事を読み漁った。その中に聖書もあった。色々な物を読んで行くうちにだんだんその種類が減って行き、聖書だけが残った。そして、最終的に黙示録と福音書と旧約の予言書が鍵だ、と思うようになった。それで、気遣わしいニュースを聖書の記事と照らし合わせて自分なりの結論を記録して来たのがこの憶えのブログだ。特に終末のクライマックス、【大いなるバビロン】の崩壊とは何か?について『わかった!』と何度かぬか喜びして書いたがみな違っていた。
ところが最近、その【気遣わしい気分、不安】が解消してしまったような気がしている。報道の表面は相変わらず昔のように沸騰しているが、丁度昔、会社を辞める前のようにその事に関して気を揉んでいない事に気が着く。スリラー物の結末を読んでしまえば中途のワクワクドキドキがないのと同じ感じだ。
もしかしたら本当の自分は既にこの世界の結末を知ってしまっているのかもしれない。