夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

保守勢力の未来

2015年08月31日 22時08分49秒 | 日記
戦後レジームからの脱却が首尾よく運び、大和心や日本本来の美しい国が実現の見通しとなるとき、保守層に内紛が起こるのではないか。それは例えば経済界から移民受け入れの要請、海外から国際社会の一員として難民受け入れの強要、国内発案で経済活性化の為の国営ギャンブル施設の提案、グローバリズムなる思想を背景に多様な文化の受け入れなる施策要請、等々であろうか。

現在、保守を標ぼうする人々が、政治家を含めてどのようなスタンスを取るか今は見えない。予想されるのは大きく分けて2系統、最も解 りやすい言葉を使えば親米と反米、或はリベラルと極右。但し一般大衆の表面的感想がそうであって親米乃至リベラルという表現は国際社会との協調路線、反米乃至極右とは日本独自の在り方に拘るという事になるのではあるまいか。

そのどちらの勢力も”国体の護持”を金科玉条にするに違いないが、一体何故どういう理由で日本人は国体の護持に拘って来たのか明確に説明できる人々がどれほどいるだろう?

前者はやがて国体護持と国際社会との協調の相容れぬ旗印に悩むようになろう。この勢力が仮に日本を支配するようになれば国体護持は単なる看板になり、日本は実質英国やタイのようになるに違いない。皇室や神道、神社は単に飾り、観光資源となるだろう。

一方後者の場合、何を以て思想的な背骨とするか模索しなければならないだろう。もし戦前の国家神道に戻れば失敗の教訓を学ばなかったという事になりかねない。

あらためて保守政治家、保守識者に問いたい・・・国体の護持に何の謂れあってあの当時一方的な報復法廷に服従したのか?釈明ひとつせず一方的な罪科有りの宣言に服してまで護る必然性があったのか?ここを明確にしない限り本当の意味での日本の回復はないと考える。

会津の武家の教訓に、”ならぬものはならないのです!”とあるようだがことごとに”議”を言う西欧キリスト教発祥教養主義を”進歩的”と刷り込まれている社会に在ってこの教訓が実質的な力を持つ謂われを明らかにしなければならない時が来ると思う。

何物にも惑わされず日本が本来の在るべき道を躊躇なく見極める思想的な背骨についてはこのブログの最初の方に書いた積りだ。



Sh'ma Yis'ra'eil Adonai Eloheimu Adonai echad

出雲大社

2015年08月30日 18時12分36秒 | 日記
過日、出雲大社は随分高く神殿が造営されていたと、想像挿絵付きで説明されている記事を見た。物凄い大建築だ!とびっくりした。
最近、インターネットの記事でインカを建設したのは縄文人であるとの説明を見た。海流に乗って行けば南北アメリカ大陸西岸に辿り着くらしい。
インカ人が縄文人の子孫であるとの論拠にどうやら遺伝子情報があるような説明であった。

個人的にはインカの文明を余り好きになれない。ミイラや人身御供をやったらしいから。そう思っているとマヤの神殿が閃いた。間をおかず上記出雲大社の想像図が記憶の底から浮き上がって来た。”非常に似ている!!”マヤ文明と言えば真っ先に思い出すのがポク・タ・ポクとか言う球技で勝った方が神殿で生贄の栄誉に浴するとの言い伝えを本で読んだことがある。昔、ユル・ブリンナーが出演した映画でもそういうシーンがあった。生きた心臓を神にささげるのだそうだ。おぞましい話だ。

と、突然岩見重太郎の物語が閃いた。毎年、決まった時に神社に村の娘を奉納し、それを神が料理して食べるのだと言う。それを岩見重太郎が退治した、との話である。そうか、日本にも人身御供があたのか!と思ったが、そしたら・・・出雲のヤマタノオロチの話も人身御供だな!と考えた。

人身御供から記憶は別方向に飛んだ。旧約聖書には古代のイスラエル民族の周辺に居た諸民族が、モロク、バアルなどのいかがわしい神々を崇拝し人身御供をやっていたとの記事がある。例えばレビ記18章21節 : 汝その子女に火の中を通らしめてこれをモレクに捧ぐることを絶えてせざれ(神像の空洞に子供を入れて周囲を火で炙って焼き殺した)また、エレミヤ記19章5節 : 又彼らはバアルの為にたかきところ(崇邸)を築き火をもて己のこどもらを焚き燔祭となしてバアルに捧げたれば・・・

つまり古代イスラエルの周辺に居た異民族は神殿で人身御供をやっていた、そしてその神殿について聖書は『たかきところ』と述べている。

ソロモン王の初期の治世は良かったが異民族から妻を娶るに及んで異教の神々を祀るようになった。次のレハベアム王の時、国はエフライム族のヤラベアムが率いる10部族とユダ、ベニヤミンの2部族に分裂、10部族は北のサマリヤに拠ってイスラエルを、2部族は南のエルサレムに拠ってユダを築いた。而して、聖書は北のイスラエルについて、こう述べる・・・・列王記略上12章28章-32章 : ここに於いて王(北王国のヤラベアム)はかりて二つの金の仔牛を造り人々に言いけるは汝らのエルサレムに上ること既に足れりイスラエルよ汝をエジプトの地より導き上りし汝の神を見よと。・・・・彼また”たかきところ”(崇邸)の家を建て・・・

ヤラベアムの始祖はエフライムと言いヤコブ(後のイスラエルなる人物)の11番目の息子ヨセフの息子である。ヨセフは兄たちによってエジプト人に売り飛ばされてしまったがそこで二人の息子を得て、その一人がエフライム、もう一人がマナセであった。

ここからは妄想である・・・
10部族の国はアッシリアに滅ぼされて歴史の闇に消えた。しかしどうやら日本に辿り着いて出雲の国を中心に栄えた。出雲大社が高く造営されていたのはかつての”たかきところ”の記憶。そこでもしかしたら人身御供をやっていたのではないか?・・それが各地に伝搬してヤマタノオロチ伝説を生んだり一部の神社での人身御供があったのではないか?また一部が海流に乗って中南米に辿り着き、マヤ、アステカ、インカなどを築き、やはり人身御供をやっていた。推測に過ぎないがスぺイン人がインカを徹底的に破壊したのは単に征服欲のみではなかったのではないか?彼らはカトリックであった。

出雲大社の主祭神は大国主命、彼は八十神なる兄弟神にさんざんに苛められたと古事記(だったか?)にあるが兄たちによってエジプトに売り飛ばされた祖先の記憶ではないか?

さらに続きがあるがまたにする。

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日本は、そして世界は本当に人間が動かしているのだろうか

2015年08月29日 18時49分34秒 | 日記
かつての学友には失礼なんだが・・・賠償留学生として来ていた人々、卒業して祖国に戻り造船業を興すメンバーとして活躍すると思っていた。日本が明治開国してからやった事を同じようにするものだ、と思い込んでいた。でもそうなっていない。何故だろうか?とかねて考えていた。今も少し考えている。

翻って、広島、長崎の惨状を写真で見る、体験者から聞いた・・・『復員して長崎に戻って来て見ると、アメリカ兵がジープに髑髏をぶら下げて走っている、チョコレートを投げると子供たちがワッと拾いに駆け寄る、ああ負けたんだ!と泣きたかった』などと。また東京大空襲で黒焦げになって転がっている母親と赤子、一面の焼野原、私自身は家族に連れられて台北から引き揚げた。国はゼロになり人は溢れた。

しかしたちまち復興して現在に到っている。1960年代になるともう先進国だと思い始めていた。様々な問題ありとされながら一昨年20数年ぶりに見た東京は『失われた20年とは本当の話か?』と驚く姿だった。先に述べた留学生を送った国々の人々と日本人の能力にさしたる違いはないと思うが何故こんなに違うのか?との疑問が拭えない。

そして思い到るのは『もしかしたら本当に日本を動かしているのは人ではなく別の存在ではないか?』『必然は偶然の姿をして登場するのではないか?』『個人の場合と同じく国家もまたその初めから終焉まで決まっているのではないか?』と言うことである。さらに『世界もまたそうではないのか?』『今不都合に見える事象も全体スケジュールからすれば必然なのではないか?』と考えるわけである。

聖書を『日本人を主たる読者に書かれた人類史と言う演劇のシナリオ』と考え、そこに記述されている事を仮説として日本を、世界を、そこに起こりつつある事柄を解釈するのはそういう理由にもよる。無論、既に開かれ、且つ閉じられたシナリオと実際に起こった歴史上の事柄が相違していれば論外であるが今まで見た限りではシナリオ通りに歴史は展開した。



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過去の記事について

2015年08月28日 23時13分30秒 | 日記
読み返してみて、『そこまで考えていたか』と思う部分と『少し近視眼的だった』と思うものがある。追々に修正してゆく。

何気なく頭に上って来た聖書の一節があるのでそこを読んで見た。数分して閃いたことがあったので書き留める。当たっているかいないかはその時になってみないと判らないが、心の内では多分その通りとの思いもある。

黙示録16章12節:第六の者その鉢を大いなる河ユウフラテの上に傾けたれば河の水涸れたり。これ『日の出ずる方より来る王たちの道を備えん為なり・・・』この予型的な事はバビロニアの滅亡の時起こった。バビロンはチグリス河とユーフラテス河を要害として陸から攻める事が不可能だった。それゆえ外敵の攻略を恐れる事無く繁栄し栄華を極めていたがメディア・ペルシャの軍勢は河の流れを変えて城を裸にして水門から侵入、陥落させた。
今日、大量の”水に相当するもの”に守られているのは何だろうか?且つそれは大昔のバビロンにも相当する傲慢華麗な繁栄を誇り人々を支配しているもの・・・思うに『宗教』である。『日の出ずる方』とは日本であろう。日本の東には海しかない。『王たち』とは?
黙示録12章5節に『女は男子を産めり、この子は鉄の杖もて諸種の国人を治めん』とある。つまり新生日本が既成宗教も瓦解、混乱した人類世界の再構築を行う際に出て行く人々と・・今は解釈する。

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出エジプト後40年放浪の記憶

2015年08月28日 08時42分12秒 | 日記
無論忘却しないためでもあろう・・・

そろそろ長崎おくんちの季節になる。 諏訪神社のご神体は本殿を離れ、おたびしょ(お旅処)に安置され、祭りの後にまた元の神殿に担ぎ揚げられて祭りは終わる。思うにこれは奴隷状態に置かれていたエジプトの地から神の導きを以てエクソダスを果たし得た人々が、やがてその約束の地への旅路の不自由をかこち始める、その恩知らずに対する戒めとしての40年に亘るシナイ付近の荒野での生活、移動の度に幕屋を設営、契約の箱を安置したその記憶であろう。

ついでに言うならば人々は旅の不自由に不平を言う、エジプトでは肉を自由に食べていたなどと言う、挙句の果てには神は何故我々をあのエジプトから去らせたのかと言い始める、これらの民衆の不平にその都度神は懲戒処分をされた。おそらくこの記憶、いわばトラウマが日本民族をして政治(まつりごと、祀り事)を特定の人々の・・当時にあっては祭司職の人々・・・の事として手を触れたがらないのかもしれない。

日本の祭りではよく神輿を担いで川を渡る、多分これは40年の期限が満ちては契約の箱を担いで約束の地に向かってヨルダン川を渡った記憶であろう。

ざれごと?・・・100%証拠がなければ信用しないと言う人もあろうが私は100%反証できなければ信用する、少なくともそれを仮説として論証乃至実証を模索する。

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