夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

愛と勘違いして鞭打つ

2017年06月24日 13時54分28秒 | 日記

人は愛と勘違いして子供を苛めていることに気が付かないことが往々にしてある。その勘違いこそ問題をややこしくしている。
私は浪人の時深刻な強迫神経症になり、以後その後遺症が数十年続いた。電車に乗れない、つり革に掴まれない、座席に座れない。つり革や座席から深刻な病気が感染するような気がする。座席に座るとズボンや上着にバイキンが着くと思う。帰宅するとそれを玄関で脱いでそこに置いて部屋に入る。入っても特別な幅30センチばかりのルートを通って靴下や下着を脱いで部屋着に着替える。その特別なルートは穢れている。最終的には自分がハンセン氏病ではないか?との妄想に駆られて精神病の入口まで行った。病気でない事を確認する為に体のあちこちに線香の火を当てて『痛いと感じるかどうか』を試す。こうして私の脚には数か所火傷の跡がある。その時の不思議な感覚は・・『大学に入っていればこんな悩みなど何のこともないのだが・・』。おかしいだろう??受験勉強は手につかなかったが偶然に翌年、大学には何とか合格した。一時期神経症は止んだかに見えた。しかし今度は学生寮の用務のオジサンの姿が気になり始めた。もしかしてアレではないか?そしてウツルのではないか?・・こうして寮を出て部屋を借りた。しかし今度はその大家さんの脚の傷が恐ろしい病気ではないかと気になり始めた。これ以上詳しくは書くまい。若い頃の狼藉や恥を晒す事になる。

恐怖感は突然襲って来る。友人たちと遊びに行く。突然自分が深刻な病に冒されているとの妄想が起って来る。『これが本当だろうか?』と空中の一点を見つめながら自問自答、答えは出ない。こうして苦痛の4年間を無為に送った。仲間はみんなそれぞれ楽しい学生生活を送っていたのに。(休憩・・・・・・・・)家族が居たから働いてはいたが心理的にはひきこもり20年、仕事以外では世間との交際は絶った。(時効だから言おう)猫を蹴り殺す、イビリ出す、苛める事多々。
【生育】の港から船出して数十年の遠洋から見た時、それらの苦しみが何によっていたかがやっと見えた。飼っていた猫が病気で死んだ時、この猫を冷たくあしらった事を後悔したが何よりも『ごめんね、ごめんね』と泣く妻を見てどういうわけか自分の心の中の何か固く閉じられたいたモノが解ける感じがした。
今はっきりわかる、存命中全期間を通じて母は己の葛藤故に私の人格の内奥無意識にまで踏み込んで悉く干渉した。私は世間で闘う前に、これと戦わなければならなかった。しかしついに『ごめんね』は言ってもらえなかった。【死んだ私】の代わりに【死んだ猫】に、母の代わりに妻が『ごめんね』と言うのを聴いて私は少し癒された。

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最早人間の手を離れている

2017年06月21日 20時31分45秒 | 日記

  ある意見では日本は2016年に所謂【みろくの世】に入った。

黙示録、マタイ伝、ダニエル書などを考え合わせると『そうかも!』と思う。

 それはどういう状況か?と言うと【人治の時代が終わって新時代の王が采配を振るっている】

 そこでは今迄は【犬が西向きゃ尾は東】だったモノやコトがどうもそうならない、何故だろう?と言う事象が展開してきている。

 総理や都知事は自分の熟慮で物事を進めている積りかもしれない。

 皇室は目障りだとか日本の国を世界に対して無防備に境界を無くせ、と言うモノも、ふと不用意に言葉が口をついて出たのかもしれない。

 政権を転覆しようと目論んだことが悉くブーメランになって自分たちを打つ。

 アチラさんも対日本に関しては動けば動くほど首が締まる。

・・・何故だろう何故だろう何故だろう???ではないかな?


 最近私は【神はこの人をどう用いようとなさるのかな?】【神はこの事態をどう持って行こうとなさるかな?】と言う見方をしている。

 昔【彩雲】と言う美しい名前の偵察機があった。どういうわけか直進の積りが変針する。そこで尾翼に偏角を付けた。


 最近どうもモノゴトが目論見通りに運ばない、予測と違った展開になる、と言う事態が頻発するならば地上世界の主導権は既に人類の手から取り上げられている。

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ハルマゲドンの終了

2017年06月21日 11時14分52秒 | 日記

 ノアの時の状況(箱舟の戸が閉じられる)や、マタイ伝24章にある・・選ばれた人々の為にその日は短くされる、の文言から推察するに、人類の分別作業は学校の試験、入学試験と同じように制限時間があるようだ。いつまでもは待ってもらえない。

 その時間内に己の立ち位置を明らかにしなかった場合は落第と見做されるだろう。

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日本の大掃除:順番にではなさそうだ、一挙にだ。

2017年06月20日 20時55分28秒 | 日記

1. 黙示録にこういう記述がある。

6:9 第五の封印を解き給ひたれば、曾て神の言のため、又その立てし證のために殺されし者の靈魂の祭壇の下に在るを見たり。 

6:10 彼ら大聲に呼はりて言ふ『聖にして眞なる主よ、何時まで審かずして地に住む者に我らの血の復讐をなし給はぬか』 

6:11 ここにおのおの白き衣を與へられ、かつ己等のごとく殺されんとする同じ僕たる者と兄弟との數の滿つるまで、なほ暫く安んじて待つべきを言ひ聞けられたり。 

2. 次はマタイ伝から

3:24 また他の譬を示して言ひたまふ『天國は良き種を畑にまく人のごとし。 

13:25 人々の眠れる間に、仇きたりて麥のなかに毒麥を播きて去りぬ。 

13:26 苗はえ出でて實りたるとき、毒麥もあらはる。 

13:27 僕ども來りて家主にいふ「主よ、畑に播きしは良き種ならずや、然るに如何にして毒麥あるか」 

13:28 主人いふ「仇のなしたるなり」僕ども言ふ「さらば我らが往きて之を拔き集むるを欲するか」 

13:29 主人いふ「いな、恐らくは毒麥を拔き集めんとて、麥をも共に拔かん。

 13:30 兩ながら收穫まで育つに任せよ。收穫のとき我かる者に「まづ毒麥を拔きあつめて、焚くために之を束ね、麥はあつめて我が倉に納れよ」と言はん。


この文章から推察されることは【分別に紛らわしい間は放置】して【毒麦と正常な麦】或は【稗と稲】の違いが明確になった時点で一挙に【毒麦】を刈り取って火に放り込む。

今日、日本社会の転覆を図る、皇室の排除を広言する、日本国なる枠組みを撤廃したい、等々の事を吹聴して憚らぬ者共や言わないまでも心ひそかに念慮或は企図するもの、期待する者共、色々居るだろう。

国家ぐるみ民族ぐるみでやっている者もある。或は日本の山林水源を買い占めてなしくずしに浸潤しようとする者共もあるようだ。

これらについて政府は何をぐずぐずしているのか?!と苛立つが、どうやら分類が進行しているのだろう。何故そう思うかと言うと、『エッ!こんな人物も日本再生にチャチャを入れるのか、生きてたのか?』と言う事例を見る。おそらくこうして全てのネズミが正体を明確にさせられつつあるのだろう。そして分類が完了した時、一挙に裁定が下るのではあるまいか。

考えても見よ、あなたがゴミ屋敷の再生を任されたらこのような手順でやるだろう・・

1)玄関を開ける。

2)内部を目視点検する。

3)袋を準備して不要物と必要物を選り分けて収納する。

4)一切の収納が終わったら、トラックを持って来て不要物をゴミ焼却場に運び、棄てる。

これに対比すれば

1)新時代の王、イエス・キリストが地球に来ている(見よ、彼は雲に乗って来る、つまり見えない状態で来ている)

2)アースレッドに相当する空気、問題、雰囲気、心理状態、政治状況、事態、事象を世界にみなぎらせる。それに覆われて苦し紛れにあちらの隅こちらの物陰からゴキブリ、ムカデ、ゲジゲジ、ナメクジ、ネズミ、蛇などが這い出てくる。

3)これで全部、と見定めたらそれらをまとめて袋に入れる。

4)焼却

小さい規模で問題が起こる度に処理、にはならないだろう。正常な感覚の人々の心痛が極限に達するまで跳梁跋扈する、言いがかりをつける者共の好き勝手にさせておくだろう。

マタイ伝から・・・

13:37 答へて言ひ給ふ『良き種を播く者は人の子なり、 

13:38 畑は世界なり、良き種は天國の子どもなり、毒麥は惡しき者の子どもなり、 

13:39 之を播きし仇は惡魔なり、收穫は世の終なり、刈る者は御使たちなり。 

13:40 されば毒麥の集められて火に焚かるる如く、世の終にも斯くあるべし。 
13:41 人の子その使たちを遣さん。彼ら御國の中より凡ての顛躓となる物と不法をなす者とを集めて、

13:42 火の爐に投げ入るべし、其處にて哀哭・切齒することあらん。 

傲慢不遜に己の身勝手な心理葛藤による思想信条を吹聴・・した段階で分別されている。 

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ラッキョウと悪口

2017年06月20日 16時16分42秒 | 日記

 新ラッキョウが出て来た。塩漬けして3日程で食べてしまう。それ以上置くと味がおちる。美味い!縦に刻んで酢味噌で食べる。これまた美味い!

寿司やラーメンで感激して涙ぐんでるそこの異人さん、ワッカランだろーなぁこの美味さ。炊き立ての飯に、酒に、ショーチューによくあう。ワインはだめだね。

ところで広島ではどうやらランキョウと言ってたな。ついでに言うと 『いってらっしゃい』は『いってかえんなさい』・・・当然じゃないかな?、『傘に入れて』は『傘に乗せて』、『触るな』は『いらうな』、『そうじゃないよ』は『そうじゃにゃあよ』、従姉妹がこれを喋っているのは可愛かった。その従妹たちももうオバサンになってしまった。ふとしたことで誤解を生じすっかりご無沙汰になって忸怩たる思いだ。

婚姻によってアカの他人であった人々が姻戚となる。だったらお互い胸襟を開いて親しく付き合い短いこの世の生で家族同様に親しくなる、非常に素晴らしい事ではないのか? それを根性の曲がった俺のクソババアは娘の夫、息子の嫁の、その家族の不平不服罵詈雑言、こうして本来親しくあったであろう子や孫たちが言われない誤解で疎遠になる。不徳である。

人の悪口を言うほど不徳はない。

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