人は愛と勘違いして子供を苛めていることに気が付かないことが往々にしてある。その勘違いこそ問題をややこしくしている。
私は浪人の時深刻な強迫神経症になり、以後その後遺症が数十年続いた。電車に乗れない、つり革に掴まれない、座席に座れない。つり革や座席から深刻な病気が感染するような気がする。座席に座るとズボンや上着にバイキンが着くと思う。帰宅するとそれを玄関で脱いでそこに置いて部屋に入る。入っても特別な幅30センチばかりのルートを通って靴下や下着を脱いで部屋着に着替える。その特別なルートは穢れている。最終的には自分がハンセン氏病ではないか?との妄想に駆られて精神病の入口まで行った。病気でない事を確認する為に体のあちこちに線香の火を当てて『痛いと感じるかどうか』を試す。こうして私の脚には数か所火傷の跡がある。その時の不思議な感覚は・・『大学に入っていればこんな悩みなど何のこともないのだが・・』。おかしいだろう??受験勉強は手につかなかったが偶然に翌年、大学には何とか合格した。一時期神経症は止んだかに見えた。しかし今度は学生寮の用務のオジサンの姿が気になり始めた。もしかしてアレではないか?そしてウツルのではないか?・・こうして寮を出て部屋を借りた。しかし今度はその大家さんの脚の傷が恐ろしい病気ではないかと気になり始めた。これ以上詳しくは書くまい。若い頃の狼藉や恥を晒す事になる。
恐怖感は突然襲って来る。友人たちと遊びに行く。突然自分が深刻な病に冒されているとの妄想が起って来る。『これが本当だろうか?』と空中の一点を見つめながら自問自答、答えは出ない。こうして苦痛の4年間を無為に送った。仲間はみんなそれぞれ楽しい学生生活を送っていたのに。(休憩・・・・・・・・)家族が居たから働いてはいたが心理的にはひきこもり20年、仕事以外では世間との交際は絶った。(時効だから言おう)猫を蹴り殺す、イビリ出す、苛める事多々。
【生育】の港から船出して数十年の遠洋から見た時、それらの苦しみが何によっていたかがやっと見えた。飼っていた猫が病気で死んだ時、この猫を冷たくあしらった事を後悔したが何よりも『ごめんね、ごめんね』と泣く妻を見てどういうわけか自分の心の中の何か固く閉じられたいたモノが解ける感じがした。
今はっきりわかる、存命中全期間を通じて母は己の葛藤故に私の人格の内奥無意識にまで踏み込んで悉く干渉した。私は世間で闘う前に、これと戦わなければならなかった。しかしついに『ごめんね』は言ってもらえなかった。【死んだ私】の代わりに【死んだ猫】に、母の代わりに妻が『ごめんね』と言うのを聴いて私は少し癒された。