『これからゆっくりと風呂にはいり風呂を洗いやっとのんびりできる。それにしても家事がこれほど手間だとは知らんかった。母さんは仕事をしているにしてはよくがんばった、がんばっている。ただ、食事は父さんにダメージを与えた可能性もあるな。しかし、それも縁だから仕方あるまい。』
・・・これは息子のメール、事情あってここ一年ばかり稼ぐ仕事と主婦業とヒーラーを掛け持ちしている。
生活に行き詰まって単身赴任に出たのはもう15年も前になる。気が着いたら”最愛の??”車を手放さなければならなかった。まあ、また買えばいいさ、と思いながらついにその機会がないままもう枯葉マーク寸前になってしまった。運転技術は衰えていないが注意力は衰えた。現在の夢は911に枯葉マークをつけて北松浦半島ヘヤピン・急坂・離合困難道路をぶっ飛ばすことである。無理かなアー。
最後の3年は佐賀のド田舎で民家を借りて息子と図面の仕事をした。三度のメシは早く気が向いたほうか、空腹に耐えかねたほうがやった。互いに俺のほうが上手であると自慢しながらやった。偶にくる妻に言わせると買い物が下手であるとのことであった。風呂は薪で焚くボイラだったので雨の日は傘をさしながら交代でやった。お互いに相手を下手くそだと貶しながら焚いた。ここ数十年、最後に私が入る。理由はミズムシを移されては迷惑と言うことによる。必然的に洗濯を担当することになる。洗濯ものの干し方で息子と意見があわなかった。玄関近くにそういう品の無い干し方をしては見苦しい、と言うのが私の意見、別段こだわるほどのものでもあるまい、と言うのが息子の意見。妻は当然ながら今は邪魔モノでしかない私の意見を無視した。
洗濯モノ干しと言う行為はしかし、中々面白いものである。如何に干せば最も乾きが早いか、外から見て見苦しくなくカッコいいか、など考えながらやると結構スリリングではあった。女ものなどはこういうかけ方ははしたない、などと考えながら、なーるほど、こういう作りになっているのか等々勉強になった。
田舎の3年の前は都会で、単身後半の3年があった。これは息子が学校に入ったので同居になったわけである。朝夕の食事は私がやった。弁当も作った。会社を5時に退けてからスーパーに行っても専業主婦に荒らされた後でヒネたものを高く買う羽目になった。しかしこの経験は為になった。冷蔵庫に残っているものと財布の中と献立を勘案しながらものを選んで買う、この行為は実に高度な頭脳作業である。さらに部屋に戻って料理をする時、何が大事かわかった、・・・イメージする力である。無論それを実現する技術も不可欠である。こうして私は単身赴任を通じて主婦業を再評価するようになりその延長線上で女性を見直すようになった。
一方息子の方は元々料理に興味があったと見えて多分今では魚をさばくのは私より上手だろう。しかし興味が嵩じると怪しいものを作るようになり困ることもあった。
材料選択眼と調理技術、は普通の主婦でもあるだろう。(聞けばそれもない女性が最近いるらしい)しかし構想力と言うものはこれはもう生まれ育ちに由来する。そして、そして・・・これだけでは足りない、海原雄山氏言う『美味いものを食わせてやろう』と言う一部愛情一部自己主張一部・・・、実はこの要素が料理を『食事』にするか『えさ』にするかの分かれ目である。 多くの主婦業の方にこの、”食事とえさの区別”の概念がない方がいらっしゃる。
ところで男は母の味で育つ。これが結婚を期に妻の味になる。ものすごいカルチャー・ショックなのだ。妻の味が母の味より上等だったらもうそれだけで男は他の全てを辛抱しなければならない。その反対だったらこれほど惨めな人生もない。男子諸君、これはと思う女性が居たらそこの家に上がりこんで母親の手料理を食べてみたまえ。これが合格なら君はハッピーな人生を送る。
・・・これは息子のメール、事情あってここ一年ばかり稼ぐ仕事と主婦業とヒーラーを掛け持ちしている。
生活に行き詰まって単身赴任に出たのはもう15年も前になる。気が着いたら”最愛の??”車を手放さなければならなかった。まあ、また買えばいいさ、と思いながらついにその機会がないままもう枯葉マーク寸前になってしまった。運転技術は衰えていないが注意力は衰えた。現在の夢は911に枯葉マークをつけて北松浦半島ヘヤピン・急坂・離合困難道路をぶっ飛ばすことである。無理かなアー。
最後の3年は佐賀のド田舎で民家を借りて息子と図面の仕事をした。三度のメシは早く気が向いたほうか、空腹に耐えかねたほうがやった。互いに俺のほうが上手であると自慢しながらやった。偶にくる妻に言わせると買い物が下手であるとのことであった。風呂は薪で焚くボイラだったので雨の日は傘をさしながら交代でやった。お互いに相手を下手くそだと貶しながら焚いた。ここ数十年、最後に私が入る。理由はミズムシを移されては迷惑と言うことによる。必然的に洗濯を担当することになる。洗濯ものの干し方で息子と意見があわなかった。玄関近くにそういう品の無い干し方をしては見苦しい、と言うのが私の意見、別段こだわるほどのものでもあるまい、と言うのが息子の意見。妻は当然ながら今は邪魔モノでしかない私の意見を無視した。
洗濯モノ干しと言う行為はしかし、中々面白いものである。如何に干せば最も乾きが早いか、外から見て見苦しくなくカッコいいか、など考えながらやると結構スリリングではあった。女ものなどはこういうかけ方ははしたない、などと考えながら、なーるほど、こういう作りになっているのか等々勉強になった。
田舎の3年の前は都会で、単身後半の3年があった。これは息子が学校に入ったので同居になったわけである。朝夕の食事は私がやった。弁当も作った。会社を5時に退けてからスーパーに行っても専業主婦に荒らされた後でヒネたものを高く買う羽目になった。しかしこの経験は為になった。冷蔵庫に残っているものと財布の中と献立を勘案しながらものを選んで買う、この行為は実に高度な頭脳作業である。さらに部屋に戻って料理をする時、何が大事かわかった、・・・イメージする力である。無論それを実現する技術も不可欠である。こうして私は単身赴任を通じて主婦業を再評価するようになりその延長線上で女性を見直すようになった。
一方息子の方は元々料理に興味があったと見えて多分今では魚をさばくのは私より上手だろう。しかし興味が嵩じると怪しいものを作るようになり困ることもあった。
材料選択眼と調理技術、は普通の主婦でもあるだろう。(聞けばそれもない女性が最近いるらしい)しかし構想力と言うものはこれはもう生まれ育ちに由来する。そして、そして・・・これだけでは足りない、海原雄山氏言う『美味いものを食わせてやろう』と言う一部愛情一部自己主張一部・・・、実はこの要素が料理を『食事』にするか『えさ』にするかの分かれ目である。 多くの主婦業の方にこの、”食事とえさの区別”の概念がない方がいらっしゃる。
ところで男は母の味で育つ。これが結婚を期に妻の味になる。ものすごいカルチャー・ショックなのだ。妻の味が母の味より上等だったらもうそれだけで男は他の全てを辛抱しなければならない。その反対だったらこれほど惨めな人生もない。男子諸君、これはと思う女性が居たらそこの家に上がりこんで母親の手料理を食べてみたまえ。これが合格なら君はハッピーな人生を送る。