夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

ロシア

2016年10月25日 23時52分04秒 | 日記
 ロシア美女コスプレイヤーがメイドカフェをオープンするそうだ!!いいではないか!!赤いワンピースもいいができればあの鎌とハンマーの素敵なデザインのステンシルを着けた赤軍女性兵士のスタイルがいいな。女が男の服装をすると妙に色気が立ち昇るのは何故だろう?

 白状しよう・・・実はロシア人大好き。政治のロシアは嫌いだが、イワンのバカのロシアは好き。何故そうなったか? トルストイの【復活】を読んだからだよ。ネフリュードフが下働きの少女、カチューシャを・・・・するあの夜の場面の如何にも冬の国のあの描写が何とも言えないのさ。

 それからあの映画、ドクトル・ジバゴのあの絶望と失意とノスタルジー、その中に埋もれ火のように煌めく希望。
 プーチンカレンダーを買おうかな。オバマはカレンダーにはならないがプーチンはなる、カッコいい!
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銘機 Reghin HORA spanish premium modern guitar

2016年10月20日 17時08分03秒 | 日記
1968年、給料が35000円程度の時 60000円の河野ギターを買った。1997年、松村ギターを50
万円で買った。それからタガが外れてドイツの Armin Gropp、Armin HANIKA,スイスのErmanno Chiavi、高知の岩田ギター、スペインのJuan Hernanndez 等入手した。クダラン道楽だった。

 飽いて全て手放し、David Jose Rubio 工房の10コースリュートを買った。こうしてギターをやめて5年の空白。偶然一台だけ残しておいたルーマニアの量産ギターを弾いてみた・・・今も弾いた。有体に言えば、無論演奏の感性も向上してはいようがこの HORA 4/4 ほど陶然となるギターはなかった。

 棹のある楽器は総て、棹がイノチと思って居る。 このHORA guitar はバイオリン族生産工場のもの故か棹が楓材だ。上記全てのギターはマホガニーかセドロ、或は黒檀芯入りのセドロ(杉)だった。楓は一見柔らかいが逆目や粘りで工作はきつい、値段も高いらしい。おそらくそういう理由で余り使われないのだろう。

1960年代の日本でただ一人、楓の棹を使った製作家が居た。久留米の橋本一男氏、局地戦闘機震電の設計製造に関与した人と聞く。そのギターはまさに粗製乱造の風体、しかし棹だけは楓の太めてごついのが着いていた。音は素晴らしかった!

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銘機 HORA

2016年10月19日 21時59分31秒 | 日記
Romania に Reghin と言う街がある。古くから楽器の生産で知られた処らしい。そこで出来た spanish guitar HORA に拘っている。たったの 25000円、しかし棹は楓の一本もの、筐体のどこにもベニヤ板は使ってない。こんなギターなら日本製なら 30万円はかたい。

 ところが、スペックとか見栄えとかウンチクにコダワル日本人は【自分の耳】より人の評価に右顧左眄してこれを評価しない。私は天邪鬼の故にか、人が見向きもしないものに価値を見出す。皆さん【音の感性】が怪しい、指紋や胸に伝わって来る楓の微妙な振動が解らないようだ。

 約2週間、ぶっ続けに弾いてだんだん鳴り出した! 楓の音だ、マホガニーやセドロの中空な音ではない、芯の詰まった音だ。もう一台買おうっと!!

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今年もまた金木犀が咲いた

2016年10月18日 22時08分53秒 | 日記
 ばっさり切ったらどうか、と言う人が居るが切りたくない。茂るに任せて鬱蒼と家を覆え。そして秋には金色の花を満開にして道行く人々を楽しませよ。花の写真を息子達、その妻たちに送った。

 ファイルを開いてその時々の彼らの写真を見る。・・・この先、一体どういう人生を送るのであろうか。願わくは自分のように失意と挫折、憤りに振り回される人生でないことを、と思う。

 今から少しリュートを弾こう。
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胸やけ

2016年10月17日 23時29分55秒 | 日記
 若い頃からよく胸やけがした。此の夏は特別酷かった。すこしでも食べ過ぎると後がひどく一晩中眠れなかった。同じものをたくさん食べるとそれが起こった。君、これは食事じゃない、これは僕に与えるエサだよ、と無言で呟きながら食べることが最近特に多い。加えて腎臓が弱っている、とまるで罪人のように言われる、掛かり付けのクリニックでも保護観察処分のような雰囲気で何か自分が罪人になったような気分がこの5年続いている。

 この思いに正直打ちのめされる。自分は半人前だ、ダメ人間なんだ、と暗黙に刷り込まれている気がする。実際、妻から労われたことは一度もない、いつも皮肉交じりの、要はワガママ男、したい放題、言いたい放題の欠点人間のように、評価されている・・・風に感じる。

 罪悪感に苛まれながら朝・昼・夕の食も残酷なものだ。どうして【生命を永らえる】ために【今を】死ななければならないのか?どうして未来に、まだ来ぬ未来に生きる保証を得る為に、今現在を死ななければならないのか?

 どうしてカイシャとかソシキとか言う処に属さなければ生きられないのか?そういうところに入って、結局【今を死んで】しか生きて行けないのか?
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