Panasonic杯第66回毎日甲子園ボウル
東日本代表 日本大学フェニックス 3-24 西日本代表 関西学院大学ファイタース
関西学院が勝利して24回目の優勝。ちなみに日大は通算20回優勝
「赤と青の対決」日本の学生アメフットの歴史の中で日大と関西学院の対決はこう呼ばれる。メジャーじゃないけど。過去25回の対戦で日大16勝7敗2分です。で、今回負けたので16勝8敗2分になりました。
僕は日大の付属校に通っていた当時、日大フェニックスは最強軍団だった。
NFLブームもあいまって甲子園ボウルは東京でも中継されていたので、いずれ行くであろう大学への憧れでもあった。フェニックスはその象徴であったし、僕も大学生になったら甲子園に応援に行こうとも思っていた。
「マイフェニックス」も観させられた。(注:「マイフェニックス」とは日大創立100周年の年に公開された映画。宍戸開・富田靖子主演の青春純愛スポーツ学校宣伝映画で日本映画界ではその名はもはや強制的に見させられた当時の日大付属校生のみぞ知る映画ではなかろうか:岡本談)
しかし・・・。
90年の45回大会(岡本当時16歳)に京大を破って日本一になって以降、フェニックスは暗黒の低迷期をさまよい続ける。
卒業して3年後位には2部との入れ替え戦をも体験し、等々力まで観戦に行った時は観客席は殺気に満ちていた。
僕はアメフトのルールをイマイチ理解していない。それでも観にいくのは、例えるならば早稲田や明治のラグビーみたいなもので、フェニックスは前述のとおり僕の中で今でも憧れや誇りなのである。
話は昨日に戻ります。17日の夜に新幹線で東京を離れ大阪泊。して18日はブログ常連の36代部長さんと待ち合わせて甲子園へ。
初めていく甲子園はマンガ「タッチ」に出てくるいでたちかと思いきや、球場の正面にいきなり隣接する高速道路が印象的でした。もっと広々した所にあるのかと・・・。
カーネルおじさんもタイガース仕様です。
「36代部長」またの名は「床宗」さんです。豚まんご馳走様でした。奥様が「いいね!」といっております。
アルプススタンドに映える「日新火災」の看板。高校野球で全国の人にしかも天下のNHKがタダで宣伝してくれるのでこの場所は外せないそうです。
日大の選手登場。床宗さんのお母様情報だと日大の留学生・モトゥ選手(3年)の活躍がカギだと言うことです。
「浪速の春団治」こと川藤さん。
川藤さんの頼み方もいいですね。「電車でたのんます」って。たのんますって言われちゃぁ電車でいきまっせ。
前半は日大に痛いミスもあり3-17.まだまだ後半頑張れば・・・。という時に観客席に登場したのは・・・。
東の彦麻呂、西のたーじん。レポーターのたーじんさんです。
床宗さんが「ぅわっ!!たーじんが来よった。もうアカン・・・」と落胆してました。
なんでも関西ではたーじんを見ると良い事がないというジンクスがあるとかないとか・・・。
この試合フェニックスは、まったく攻め手がなく、ディフェンスも次第に関西学院を抑えきれずほぼ完封に近いスコアで敗戦。
「みんなコイツのせいや。たーじんが悪いんや!!」
って「たーじん」ではありません。これは「つねさんぽ」でございます。
記念の写真をとりませう。
でも憧れていた甲子園に映える赤と青のユニフォームはとてもきれいでした。
楽しい一日でした。
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