うえぽんの「たぬき鍋」

日々のつれづれ、野球ネタ、バカ話など、何でもありの闇鍋的世界?

重い扉、開く。(その1)

2014-08-03 22:04:46 | 野球
初めて「二松學舍」の名を知ったのは、小学5年生の頃だった。ちょうど野球にハマり始めた時期で、親に買ってもらった「ファン手帳」をパラパラとめくっていたら、当時、西武ライオンズに所属していた白幡勝弘(隆宗)選手の出身校の欄に「二松学舎高」と書いてあり、「これ、何て読むの…?」と興味を持ったのが最初である。

その後、ワタシは都立うっかり八兵衛高校(仮称)に入ったわけだが、当時の母校は硬式野球部がなく(軟式はあった。後に硬式へ転向)、春夏の高校野球が盛り上がる時期になるたびに、少々寂しい思いをしていた。一浪を経て、縁あって二松學舍大に入学したワタシは、「母校に硬式野球部がないかわりに、東京は二松學舍大附属(以下二松)を応援することにしよう」と決意したのだった。それから19年。二松は昨年まで5回(通算10回)、夏の予選の決勝に進むも全敗。特に、2002年からは3年連続決勝戦で負けを食らい、「『二松』の『二』は『万年二位』の『二』なのか…」と、落ち込んだものだった。応援し始めてから、センバツには2回(通算4回)出ており、甲子園に応援しに行ったこともあるが、やはり夏の甲子園でプレーするナインを見たい!そんな思いが年々強まっていたのである。

昨夏の決勝戦は、大学の同級生であるりゅーや氏と、二松のファンである、漫画家の小坂俊史氏と3人で、神宮球場へ見に行った。3人とも、球場へ行くと応援しているチームがことごとく負けるという「疫病神属性」を持つ者たちであったが「3人揃ったら、逆に何か発動するんじゃないか!?」と努めて明るく応援した。しかし、マイナスの3掛けはマイナスであり、二松は健闘むなしく敗れ去った。ワタシは家に帰り「一体どうしたら…」と涙目になりながら、苦いビールを呷ったものである。

今年も、二松は決勝戦まで勝ち進んだ。しかし、決勝戦を見に行くのは、正直気が進まなかった。

「どうせまた今年も…」
「ワタシが見に行くと、応援するチーム大概負けるし…」
「相手帝京じゃん。今まで決勝戦で何度帝京にやられたか…」

そんなマイナス思考ばかりが頭をグルグル回る。事実、事務所にも「(決勝戦の日は)空いてるので、お仕事あったら入れてください」というメールを送っていたほどだ。お仕事をしていれば、決勝戦のことを考えてウジウジしなくて良いではないか。しかし、今思えば幸運なのだが、お仕事は入らなかった。さあ、どうしよう。ずーっと迷ったが、当日の朝決めようと考えて、床に就いた。

翌朝になっても、なかなか踏ん切りは付かなかった。Facebookで幼なじみのY氏から「行こう!」というコメントをもらい、「やっぱり、行くだけ行ってみようか」という考えに傾きつつあったが、何かもう一押し欲しかった。そこへ、りゅーや氏から1本の電話が入る。

「今日行く?行くなら、車で送るけど、どうする?」

りゅーや氏は、ワタシの家からさほど遠くないところにある会社で営業のお仕事をしているのだが、得意先へ行く途中に神宮球場があるので、乗せて行ってくれるというのだ。

「オレの分まで球場で応援してきてよ!」

もう一押しが、来た。

(続く)