~南陽寺の起こり~
南陽寺観音堂にこの寺の起こり(由緒)がわかる。堂内の長押(なげし)いっぱいに書かれている。文書は変体仮名交じりで比較的解読しやすいが…難解だ。難しい字にはルビーが付く、解読すれば当時の園部の様子がわかる。一部、解読不可の個所はあるが…お許しを。馬頭観音の由来を申奉るに
昔此辺に斗(十)倉長者と以へる人あり
けるが常に此
観世音を尊崇(そんすう)し奉りしに
彼(かの)若狭の国松尾寺ハ世の人
普(あまね)く知所の西国三拾三所の内
弐拾九番の札所にして
本尊ハ則(すなわち) 馬頭観音にて
ましませは一日(あるひ)長者松尾寺へ
詣でけるついで鴻の浦といふ
処に船を浮めあなたしなたと
一見せし所に俄に大風吹来りて
数十艘の船四方八面に漂流し
或ハ破損し或ハ行方知れず
なりけるに此長者の乗し船も
何地とも分難き嶋に吹着ら
れしかはいかせんと憂へ衰
しむ所に夢ともなく現
ともなく観世音現れ出給ひ
て長者に告給ふよらば此処ハ
鬼界ケ島とて世に恐懽し
き処なれハはやばやと爰(ここ)を去
へしと告給ふなれど何地へ
出へき方を知らす憤然とし
て居たおしに後の方に白馬
なく其馬に乗よと呼聲あり
因(よって)馬に打乗しに遥かに雲
を凌(しの)ぎ峰を掛ると思ひしが
忽(たちま)ち此故郷に帰りぬ又此
不思議なる哉(かな)其馬一の枯木
と化しけれは長者奇異の
思ひをなしいよいよ信心肝に銘
じ其木を以て
馬頭観音の尊像を刻ミ此処に
一宇の小堂を建立し是を安置し
奉る其後世々の主君修復を加
られ又寛政年中
泰盛院御殿御代に此堂を再造
し給ふ則三面二臂の御像にして
頭上に白馬の頭を載き給ふゆへ
馬頭観音と名け奉り中興船井
郡三拾三所の内拾九番の札所にし
て最も□□□あらゆる
安楽を請め給ふ人々一心に信仰
し奉れハ身に病難釼難なく
家に盗難災難なく誠に霊験
新にして人の欲する処成就せすと云
事なし又古より三拾五年或ハ五拾
年毎に諸人結縁ため御忌の
法会を執行し来るに今慈又其
巡り年に当り依て旧例に
随(したが)ひ御扉開き尊像を拝せ』