過去10年、振り返りシリーズ第二弾!
1997年。大学4回生。学生生活最後の年。
この年は、まず4月頃に入院した。肺気胸で。肺がちっちゃくなる病気。しぼんでしもた。それで入院。手術。産まれて初めての手術。その後、今まで手術はしていないので貴重な体験でした。と、いっても全身麻酔だったので、全く覚えてないんやけどね
入院した期間は約一ヶ月。当時の彼女がよく見舞いにきていたなあ。この時に、うちの母親とも会っていて、彼女は「お母さんとうまくやっていけるかなあ」なんて言っていたような。そんな心配は無用で、翌年には別れちゃったんやけどね
退院して、教育実習があり、その後、教員採用試験があった。今思えば、教員採用試験を受けるだけの学力はなかった。でも、教職を取っていたから流れで受けた感じ。あの頃は、就職についてしっかりと考えられていなかった。あまちゃんやったわ。
教員採用試験一次試験の結果を知るのが怖くて、結果発表時期になぜか中国へ二週間短期留学。バイトで稼いだお金は全てそこへつぎ込む。親は「なんで中国に行くのか」、訳分からんかったやろね
逃避です。落ちるの分かってたから・・・ρ(。 。、 )
でも、中国は楽しかったなあ。大学の授業で中国語は取っていたので、多少、授業はためになったし。北京に二週間でした。帰りたくなかったもんな。
教員採用試験は落ちてたけど・・・
採用試験に落ちても、大きなショックはなく、なんか開放感に満ちあふれていました。非常勤講師をしながら教師を目指す志もなく・・・何も考えていませんでした。
そんな時、友人が誘ってくれたのが、知的障害者の入所施設の運動会でした。滋賀県のど田舎にある施設で、歴史のある有名な施設でした。そこで、初めて知的障害者を間近で見た。
自分の父親くらいの年の入所者が、子どものように一生懸命運動会に参加したり、50くらいのおっさんが自分の母親に甘えていたり・・・なかなかショッキングでした
それが、今の仕事に就くスタートとなる出来事やったんやなあ。あれに行かなきゃ、知的障害者施設で働くことはなかったと思う。
あの時、誘ってくれた友人に感謝します
その友人は、その後、知的障害者の作業所に勤め、今はジョブコーチをやっていたような・・・マーケティングの勉強もしていたような気が・・・元気にしているかなあ。
その友人が俺に言ってくれた一言で、忘れられない一言があります。それは、俺が障害者施設への就職が決まった時に話していた時のこと。
「お前はこの仕事が向いていると思う。お前みたいな人に、この仕事をして欲しいと思う」
嬉しいこと、言ってくれるなあ。元気にしてるかなあ・・・職場の人間関係とかで悩んで、髪の毛の色を緑色とかにしてへんかなあ・・・
1997年は始まりの年だったようです。今振り返ると。
9年前は夢見ていたこの仕事が、今の俺にはストレスになっているとは・・・働くって大変