義父の通夜、葬儀告別式は、無事滞りなく終わった。
列席者数。通夜170人、葬儀告別式109人。老人会、しかもその地域ブロックの連合会役員も務めていた義父だったので、その関係者も多かったのであろう。
以下は、私にとっては懸案だった、親族を代表しての挨拶。勿論、書面にしてそれを朗読するという形式ではなく、メモを見ることもなく、マイク片手にその思いを語ったのであるが、ここに敢えて文章化してみることにした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
通夜
皆様、本日はお忙しい中、故人の為にお集まりをいただきまして、有り難うございます。
この度は、誠に急な事でございまして、皆さま方の中にも、訃報の第一報をお聞きになったそのご自分の耳を疑ったと仰るお方も、多かったのではないでしょうか。
私と致しましても、「ああ遅れてごめんごめん」と、照れ笑いを浮かべながら今にもその辺りから現れるような気がしてなりません。
皆様にお別れのご挨拶も、新年のご挨拶も申し上げることなく、独り足早に旅立ってしまったそのご無礼を、恐らく故人も悔やんでいることと思われます。
しかしながら、本日このようにたくさんの皆様方にお集まりをいただきお参りをいただきまして、故人も大層嬉しく喜んでいることと思います。
そのような故人に成り代わりまして、皆さま方に、厚く御礼申し上げる次第でございます。
本日は、誠に有り難うございました。
葬儀告別式
只今ご紹介をいただきました、私、義理の息子の河村と申します。
私事で恐縮ですが、私と故人の実の娘、佐佳江が結婚入籍致しましてから、この元日でマル2年を迎えたばかりでございます。つまりは私と父との親子関係も、2年で終わってしまったという訳であります。
ご承知の通り、父はいつも大変元気で、活発で精力的に忙しくしておりました。畑仕事に旅行会にボウリングに……、その他様々な催しにも参加させていただいていたようで、お世話になった皆様も多かったことと思います。
私ども夫婦の結婚式の時にも、「河村さん、ボウリングしゃはる? 今度いっぺん一緒に行きましょ」と、父は私を気安く誘ってくれました。しかし聞くところによれば、父を始め父のボウリングのお仲間は、皆さんアベレージが200を超える凄腕の持ち主ばかりで、以前は勝った今日は負けたと、非常にハイレベルな勝負をなさっているとか。「ああ、いつの日か父にボウリングで返り討ちに遭わされるのか」と覚悟を決めておりました私ですが、そんな覚悟の甲斐もなく、親子対決もお流れとなってしまいました。
そんな父の忙しさを、恨むつもりは毛頭ございません。ただ、もう少し父と交流出来る時間があれば良かったのになあと、いささか残念に思っておりました。しかしながら昨日の通夜、そして今日の告別式と、お集まりをいただきました皆様方お一人お一人のお顔を拝見しておりますと、「ああ、やっぱり人付き合いって大事なもんやなあ、お父さんがそれを教えてくれてはるんやろかなあ」と感じております。
私ども家族親族は、そのような父からの教えを受け継いで、これまでお付き合いをいただいてまいりました皆様方への、感謝の気持ちを忘れることなく、日々精進を重ねてまいりたいと思う所存です。
父が生前お世話になりました皆様方には、心より感謝申し上げますとともに、これからも私ども家族親族への変わらぬお引き立て、ご指導ご鞭撻をお願い申し上げまして、私ども親族から皆様方へのご挨拶に代えさせていただきたいと存じます。
皆様、この度は誠にお世話になりました。そしてそして、本当に有り難うございました。有り難うございました。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
……というのが、私の考えた全文であるが、正直に白状すれば、通夜ではここに書いた通りほぼ完璧に語ることが出来たものの、告別式ではその場の雰囲気に思わず感極まってしまって、台詞が飛んだり言葉の順番が逆になったりと、思うようにはいかず。曲がりなりにもお喋りのプロを名乗る者としては、決して満足の出来るものではなかったが、親族や来客には概ね好評だった様子。まあ、7割弱の出来といったところであろうか?
とにもかくにも、盛大な義父の葬儀の、その一翼を担うことが出来て、私としては非常に幸せな気分である。
義父は、大好きだった回転焼きの「御座候」と牛ステーキ弁当を携え、お気に入りだったBEGINの曲に見送られながら、旅立っていったことを付け加えておきたい。
合掌。
列席者数。通夜170人、葬儀告別式109人。老人会、しかもその地域ブロックの連合会役員も務めていた義父だったので、その関係者も多かったのであろう。
以下は、私にとっては懸案だった、親族を代表しての挨拶。勿論、書面にしてそれを朗読するという形式ではなく、メモを見ることもなく、マイク片手にその思いを語ったのであるが、ここに敢えて文章化してみることにした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
通夜
皆様、本日はお忙しい中、故人の為にお集まりをいただきまして、有り難うございます。
この度は、誠に急な事でございまして、皆さま方の中にも、訃報の第一報をお聞きになったそのご自分の耳を疑ったと仰るお方も、多かったのではないでしょうか。
私と致しましても、「ああ遅れてごめんごめん」と、照れ笑いを浮かべながら今にもその辺りから現れるような気がしてなりません。
皆様にお別れのご挨拶も、新年のご挨拶も申し上げることなく、独り足早に旅立ってしまったそのご無礼を、恐らく故人も悔やんでいることと思われます。
しかしながら、本日このようにたくさんの皆様方にお集まりをいただきお参りをいただきまして、故人も大層嬉しく喜んでいることと思います。
そのような故人に成り代わりまして、皆さま方に、厚く御礼申し上げる次第でございます。
本日は、誠に有り難うございました。
葬儀告別式
只今ご紹介をいただきました、私、義理の息子の河村と申します。
私事で恐縮ですが、私と故人の実の娘、佐佳江が結婚入籍致しましてから、この元日でマル2年を迎えたばかりでございます。つまりは私と父との親子関係も、2年で終わってしまったという訳であります。
ご承知の通り、父はいつも大変元気で、活発で精力的に忙しくしておりました。畑仕事に旅行会にボウリングに……、その他様々な催しにも参加させていただいていたようで、お世話になった皆様も多かったことと思います。
私ども夫婦の結婚式の時にも、「河村さん、ボウリングしゃはる? 今度いっぺん一緒に行きましょ」と、父は私を気安く誘ってくれました。しかし聞くところによれば、父を始め父のボウリングのお仲間は、皆さんアベレージが200を超える凄腕の持ち主ばかりで、以前は勝った今日は負けたと、非常にハイレベルな勝負をなさっているとか。「ああ、いつの日か父にボウリングで返り討ちに遭わされるのか」と覚悟を決めておりました私ですが、そんな覚悟の甲斐もなく、親子対決もお流れとなってしまいました。
そんな父の忙しさを、恨むつもりは毛頭ございません。ただ、もう少し父と交流出来る時間があれば良かったのになあと、いささか残念に思っておりました。しかしながら昨日の通夜、そして今日の告別式と、お集まりをいただきました皆様方お一人お一人のお顔を拝見しておりますと、「ああ、やっぱり人付き合いって大事なもんやなあ、お父さんがそれを教えてくれてはるんやろかなあ」と感じております。
私ども家族親族は、そのような父からの教えを受け継いで、これまでお付き合いをいただいてまいりました皆様方への、感謝の気持ちを忘れることなく、日々精進を重ねてまいりたいと思う所存です。
父が生前お世話になりました皆様方には、心より感謝申し上げますとともに、これからも私ども家族親族への変わらぬお引き立て、ご指導ご鞭撻をお願い申し上げまして、私ども親族から皆様方へのご挨拶に代えさせていただきたいと存じます。
皆様、この度は誠にお世話になりました。そしてそして、本当に有り難うございました。有り難うございました。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
……というのが、私の考えた全文であるが、正直に白状すれば、通夜ではここに書いた通りほぼ完璧に語ることが出来たものの、告別式ではその場の雰囲気に思わず感極まってしまって、台詞が飛んだり言葉の順番が逆になったりと、思うようにはいかず。曲がりなりにもお喋りのプロを名乗る者としては、決して満足の出来るものではなかったが、親族や来客には概ね好評だった様子。まあ、7割弱の出来といったところであろうか?
とにもかくにも、盛大な義父の葬儀の、その一翼を担うことが出来て、私としては非常に幸せな気分である。
義父は、大好きだった回転焼きの「御座候」と牛ステーキ弁当を携え、お気に入りだったBEGINの曲に見送られながら、旅立っていったことを付け加えておきたい。
合掌。