大阪市営地下鉄谷町線「都島(みやこじま)」駅。
この駅を利用したのは、1度だけ。19年前の1991(平成3)年の夏頃のこと。
体調を崩し脇腹辺りに痛みを抱えていた私は、近くの医院で診てもらうもその病名が特定出来ず、病院を変えてセカンドオピニオンを求めても、やはり何の病気か分からず、結局ダイレクトに大きな大学病院まで行ってサードオピニオンを求めて、ようやく腎臓か尿路の結石ではないかとの診断が出た。
後日超音波やCTスキャンの検査を受けることになったのだが、しかしその頃の大学病院には、まだ多くの患者を検査出来るだけの設備が整っておらず、普通に順番待ちをした場合2~3ヶ月から半年程度掛かってしまうということで、仕方なく大学病院からの紹介で、院外検査を受けることになる。
その時、生まれて初めてのCTスキャン検査をしたのが、この駅近くの某病院であった。
しかし……、わざわざ都島まで出向いて検査したものの、結石らしきものは見つからず、その内に脇腹痛も消えた。おそらく小さな結石はあったようだが、いつの間にか小便とともに自然と体外に流れて出ていってくれたらしい。
幸い、当時はまだ珍しかった「体外衝撃波結石破砕術」を受けることなく、病気は治った。
体調を崩した原因は、父の死による心労が重なった為かと思われる。
19年前の3月1日に入院。21日には医者から「あと数日」と言われ、そして父が死んだのは、3月24日の午後だった。
この駅を利用したのは、1度だけ。19年前の1991(平成3)年の夏頃のこと。
体調を崩し脇腹辺りに痛みを抱えていた私は、近くの医院で診てもらうもその病名が特定出来ず、病院を変えてセカンドオピニオンを求めても、やはり何の病気か分からず、結局ダイレクトに大きな大学病院まで行ってサードオピニオンを求めて、ようやく腎臓か尿路の結石ではないかとの診断が出た。
後日超音波やCTスキャンの検査を受けることになったのだが、しかしその頃の大学病院には、まだ多くの患者を検査出来るだけの設備が整っておらず、普通に順番待ちをした場合2~3ヶ月から半年程度掛かってしまうということで、仕方なく大学病院からの紹介で、院外検査を受けることになる。
その時、生まれて初めてのCTスキャン検査をしたのが、この駅近くの某病院であった。
しかし……、わざわざ都島まで出向いて検査したものの、結石らしきものは見つからず、その内に脇腹痛も消えた。おそらく小さな結石はあったようだが、いつの間にか小便とともに自然と体外に流れて出ていってくれたらしい。
幸い、当時はまだ珍しかった「体外衝撃波結石破砕術」を受けることなく、病気は治った。
体調を崩した原因は、父の死による心労が重なった為かと思われる。
19年前の3月1日に入院。21日には医者から「あと数日」と言われ、そして父が死んだのは、3月24日の午後だった。